デーシーデース!!
流産となったら、悲しいままですが、
その後やらなければならないことがあります。
それは、お腹の中で赤ちゃんが入っていた胎嚢という袋を体の外に出さなければならないということです。
自然と流れ出るパターンと、そうでなければ手術で取り出さなければならないパターンがあります。
赤ちゃんの週数が進んでいると、亡くなったまま産まなければならないということもあるそうです…。
辛すぎますね。
私は妊娠初期での流産だったので、まずは自然に流れ出るのを待つことになりました。
私は4月の10日前後に流産が分かり、
そのあとは少しずつ出血がありました。
そして4月の26日の夜に多めの出血があり、
腹痛と頭痛が起きて、あれっ、これは出たのかな?という判断が難しかったので翌日クリニックへ。
するとまだエコー写真で胎嚢が写っており、
今回の出血は違うと。
目でわかるくらいの大きさの胎嚢が出るのですぐ分かるだろうとのことでした。
胎嚢が写ってるのを見ると、流産がまだ信じられないような気持ちもありましたが…。
しかしその日の夜、
生理2日目くらいの出血があり、
袋のような赤い大きな固まりが出たので、
これが胎嚢だなと分りました。
流れ出なかったら手術をしなければならないので、赤ちゃんが身体的にも金銭的にも、
私の負担のないように流れ出てくれたんだなと思い、それを見て、また涙が止まらなくなりました。
ただこれが結構驚きのアレなんですが、
このナプキンに流れ出た胎嚢をジップロックに入れて冷蔵庫に入れて保存し、翌日病院へ待っていかなければならないというミッションがあったのです。
この胎嚢を調べることで、私の身体に異常がなかったかとか、体質とか、ものすごく多くの情報が得られるということで。
次回の不妊治療にもつながる大切な検査ができるのです。
翌日、病院へ持って行き、エコーも診てもらいました。
胎嚢はもうなくなっていて、
完全に流れ出たことが分りました。
ちなみにこのあとは1週間くらい出血と腹痛が続きましたが、症状としては重くなかったです。
後日たかちゃんと2人で、近くの神社を調べて、
赤ちゃんの供養に行きました。
ご祈祷をあげてもらうのではなく、2人でただ静かに手を合わせて来ました。
実は妊娠が分かったとき、名前考えなきゃ!という話をちょっとしていたのですが。
たかちゃんがふざけて「音速」って書いて「ソニック」はどう?と言っていたので、
私はやだよ〜笑と言っていましたが、
赤ちゃんのことを通称ソニックと呼んでいました。
胎児ネームというやつですね☺️
ほんの数週間だったけど、
私たちのところに来てくれたこと。
まだ覚悟しきれてなかった私に、
お母さんになれるんだよっていうことを教えてくれたこと。
最後も負担を最小限にしてくれたこと。
初めての喜びをくれたこと。
思い返すと、今でも涙が出ない時はないけれど。
ただ、感謝です。
絶対に絶対に、生涯忘れることはないと思います。
ありがとうソニック。
いやソニックて笑
たかちゃんのこのネーミング大喜利も含めて笑、
大切な想い出です。
またこのあとの不妊治療についても書きますね✨
産前だから前髪を短くしすぎたデーシーデシタ!!