現在の状況です。

R5年7月10日診察にて

柳原 26点

筋電図測定せず

発症前の普通とは異なりますが

生活するのに不自由はあまり感じていないです。

 

 

2年前の8月31日の夜

異変に気づく。

すぐに病院へ行き、

脳梗塞でなく帯状疱疹と診断を受ける。

ゴールデンタイムと言われる時期に

通院にて治療をスタートする。

 

筋電図  0%

柳原点数 0点

 

恥ずかしい話ですが、

これが重症かさえその時はわからなかった。

比較する症例も知識もありませんでしたから…

 

10%未満は減価術をすすめていると説明を受けますが、

痛みと疲労で思考能力は低かったです。

執刀医の淡々とした診察も印象に残っています。

 

悩んだ挙句…

何故か?手術を受ける決断に至らなくて

0%なのに自ら辞めると言いました。

先日の学会の資料を見ても筋電図0%の方は

75%前後が受けられています。

しかも受けてない人のほとんどが家族の反対でした。

本人は私だけだったかも…(^^;

 

・執刀医の説明

・担当医の説明

・命に関わる病気でないのにリスクのある脳の手術をしてよいのか?

 (母の耳がよくなくて生きづらさを知り尽くしている)

・考える時間をもらった数日間に聴力の回復を感じ聞こえることを優先した

 (難聴はQOLを下げる)

・手術に対して感じた直感

 

以上が理由です。

 

病名は、ZSH

限りなくハントに近いベル麻痺

担当医は執刀医ではなくなりました。

ですが!!

この担当医が私にはいい先生で

顔面麻痺の苦しさを軽減してくれました。

 

手術はしないため、

飲み薬とリハビリだけの治療

1ヶ月に1度の診察を受けます。

予後不良しか情報がなく途方に暮れました。

左目は開眼したまま

半分死体のような顔と暮らす。

食事もうまく摂れず痛みもあって

7kg痩せました。

 

発症4週間め

パソコンで調べていて

大阪警察病院の治療法に可能性を感じ

紹介状を書いてもらう。

 

診察は予約優先のため8時間待ちました。

待てば必ず受けられる。それだけ…

診断は、3週間を超えているので

治療は無いと告げられました。

厳しい言葉でしたが、3週間の意味が大きいことを理解する。

悔しくて帰りの電車で涙が止まらなかったです。

通っていた病院の減価術は受けるなら5週間めが予定でした。

病院や医師によって異なる現実を知る。

 

 

これが発症1カ月の経緯です。

様々な経緯の中、完全顔面麻痺なのに

現実を受け入れられませんでした。

辛かったです。

 

長くなってしまいました。

2年間の経過は少しずつアップしたいと思います。