https://www.youtube.com/watch?v=LVlDSzbrH5M
ウェライ モンザダウ ニースター アレクサ
アンナイム クルージン スルーザ ブロッカイランサウン(ド)
アイハヴチャーテッダ コーストゥザヴィンヤー(ド)
バットゥナイダイヤム ナンタケッバウン(ド)
ウィトゥーコンディーゼゥバック ンモンタック イエスタデイ
エンレフジスモーニン フロンザベールィンガードナズベイ
ライコゥザローカルズ ヒーア アイヴハットゥセゥマイホーム
トゥープラウド トゥリーヴアイワークタ マイフィンガーズ
トゥダボーヌソアイクッ(ド)
オウンマイダウニースターアレクサ
エンナイ ゴーウェアジオーシャニズディー(プ)
ゼアラージャイアンツァウ ゼアリンダ キャニヨンズ
エンダグー(ド)キャプテン キャンツ フォーラスリー(プ)
アイヴガッビルズタペイヤン チルドレンフーニックロー(ズ)
アイノウデアズフィシャウゼア バ ウェアガドンリノーズ
ゼイセイ ジーズウォーラズ アンヌワッゼイユストゥビー
バァーダイヴガッピポゥバック オンラン
フーカンドンミー ソイフュー
シーマイ ダウニースターアレクサ
ニフューワークウィザ ローダンダリー(ル)
テゥマイワイフ アイヤムツローリン アッランティス
エンナイ スティゥハヴ マハンズオンザウィー(ル)
ナウアイドライ(ヴ)マイ ダウニースターアレクサ
モーエンモー マイルスフロンショー エヴリイユァ
シンスゼイテゥ ミーアイケンヌセルノゥ スタライパ(ズ)
エンゼズノー ラックインソー (ド)フィシンヒェ
アイワザベイマン ライ(ク)マイファーザワーズビフォー
ケンヌメイ カリヴィーンナ ザベイマン エーニモー
ゼアレイン マッチフューチャ フォーラマンフワー(ク)ザシー
バッゼアレインノー アイランレフ(ト) フォーライダンダーズ ライクミー
ロッド・スチュアートがカバーしていたので私は長らくビリー・ジョエルの曲だとは知りませんでした。漁師として生きるお父さんの苦しい胸のうちを歌った曲です。海外のロックというか歌謡曲を聞いてていつも思うのは、生活苦を歌う人って日本に少ないなあということです。いるけど、フォークとか演歌とかになっちゃって、メインストリームから外れる感じ。
先日「日本の歌謡曲のそのままの君でええんやで調が、レディ―ガガのボーンディスウェイとズレるのは何故なのか」という話になった時、ある人が「日本の場合は、今のままの状態でいてほしい、そこから1ミリでも変化したら見捨ててやるというニュアンスがあり、ボーンディスウェイはその変化まで含めているのだ」と発言していて、そういうことなんだろうなあとしみじみ思いました。骨太な歌がみんな「ややイロモノ」に押しやられていくのは、一国の文化としては非常に浅いというのが個人的な感想としてはあります。
ざっと歌詞を訳すとこんな感じです。
俺はアレクサ号に乗っている
波音の中を通り抜けながら ビンヤードへ ナンタケットへ
モンタックへ戻り、ガーデナー湾から出港する
土地の者たちと同様に家を売らざるを得なかった
しかし、海を離れるにはあまりにも、俺は骨の髄まで漁師なのだ
アレクサ号はまだ俺のものだ 俺は外海へ向かってゆく
渓谷には巨岩が突き出し、腕のいい船長ならば眠りに落ちるわけにはいかない
支払いを待つ請求書 服を買ってやらねばならない子どもたち
しかし魚のいる場所はどこなのか 神様にしかわからない
海は以前の海ではないと人々は言う
しかし俺には陸で待っている者々がいるのだ
もしもアレクサ号を見かけたら
もしも漁を生業としているなら
妻に伝えてくれ 俺はアトランティスで網を引いていると
俺の手はまだ梶を握っていると
俺はアレクサ号に乗っている
年を経るごとに沖へ沖へ行かねばならない
ストライパーはもう売れないと聞いた
しかしカジキ漁にもつきがない
かつては俺も父のような海の男だった
しかしもはやこのようには生きていけない
海に生きる者たちにはもう先がない
しかし俺のような島の男に行くべきところなど他にないのだ