勝手にクリスマス映画特集第7弾くらい
恋はクリスマス・イブに始まり、
愛はバレンタイン・デーに訪れる。
1957年の映画『めぐり逢い』をモチーフに製作された、トム・ハンクス×メグ・ライアンのゴールデンコンビが送る恋愛映画『めぐり逢えたら』をレビュー。
めぐり逢えたら
原題:Sleepless in Seattle(シアトルの眠れぬ男)
製作年:1993年(アメリカ)
ジャンル:ロマンス/コメディ
監督:ノーラ・エフロン
脚本:ノーラ・エフロン、デヴィッド・S・ウォード
音楽:マーク・シャイマン
キャスト:トム・ハンクス、メグ・ライアン、ビル・プルマン、ロス・マリンジャー、and more…
『めぐり逢えたら』のあらすじ/概要
トム・ハンクスとメグ・ライアンが2度目の共演を果たしたハートフル・ストーリー。シアトルに住むサムは、妻に先立たれ孤独な日々を過ごしていた。父を励まそうと、8歳の息子がラジオ番組で「パパに新しい奥さんを……」とリクエストする。切ないメッセージに心を動かされたのは、ボルチモアの新聞記者アニーだった。劇中、アニーがケイリー・グラント主演の「めぐり逢い」を観て感動したり、2人がエンパイア・ステート・ビルで出会ったりと名作の引用を使ったニクい演出も。
映画.comより抜粋
『めぐり逢えたら』の感想/レビュー
DREAMS COME TRUE - WINTER SONG
クリスマス映画特集として観たんですけど、言うほどクリスマス映画か?てなっちったよ。
起承転結で言うたら『起』はクリスマス・イブなんだけれど。
シカゴに住む建築家のサムが、最愛の妻を癌で亡くしてしまったことで悲しみに沈む中、日常生活を取り戻す為にシカゴからシアトルに引っ越します。
しかし中々元の元気な日常を取り戻せない父のサムを見て憂う息子のジョナが、クリスマス・イブの夜、ラジオ番組のお悩み相談所に、「パパには新しい奥さんが必要」だと相談したところから、物語は動き出します。
この時にラジオの精神科医のパーソナリティから付けられたサムのあだ名が、この映画の原題にもなっている『Sleepless in Seattle(シアトルの眠れぬ男)』。
マーシャ(パーソナリティ)「本当に誰かを愛した人は愛が深い。」
サム「このラジオ番組は何分ある?」
つまり、サムは亡き妻を、語り尽くせぬほどに愛していた。夜も眠れぬほどに。
同じ頃、ボルチモアに住む新聞記者のアニー(メグ・ライアン)は、婚約者のウォルター(ビル・プルマン)を伴って、実家のクリスマス・パーティに参加。ひょんなことから、アニーはウォルターと帰路を分つことになるのだけれど、アニーは車中、偶々、“シアトルの眠れぬ男”であるサムがラジオに電話出演して、亡き妻への想いを切々と語るのを聴いて、感涙。
実家でアニーは、母から父との運命の出逢いについて聞かされていたのだけれど、その話がサムが切々と語る亡き妻への想いと重なっていたことで、アニーは運命の相手とは「出逢った瞬間に運命の相手だと感じる」ことに気づく。それは母の言うように「マジック」だった。そして…
って感じなんですけれども、サムの息子のジョナが、ラジオ番組に勝手に電話してみたり、そのラジオに感銘を受けたアニーが、サムのストーカーと化し住所等を調べ上げて手紙を送ったり、その手紙に対してサムは、ジョナに返事を書けとせがまれたりするのだが、
まぁこの二人、サムとアニーが、すれ違いばかりで中々めぐり逢わない。
そう言う意味でも、この『めぐり逢えたら』というタイトルは、「めぐり逢えたなら…」という含みを持たせていることから『運命』というテーマを踏まえた秀逸なタイトルだと思うんですね。
本作、1957年の『めぐり逢い』がモチーフとなってなっており、重要な劇中劇としても使われたりしていますが、その『めぐり逢い』も、1939年の映画『邂逅』のリメイクである。観たことないけど。(是非観てみたいですね。)
この『めぐり逢い』を劇中で語る女性陣たちの反応がコメディとして面白かったり、同じく劇中で男性陣が語る『特攻大作戦』に対しての反応が面白かったりするのですが、こういうところで何気に、やっぱ男と女とでは感覚が違うよねと。そらすれ違いも勘違いも起きます。
そして本作はノーラ・エフロンが監督していますが、後に同監督、トム・ハンクス×メグ・ライアン主演で『ユー・ガット・メール』が作られることとなるので、冒頭の方で触れてる通り、トム・ハンクスとメグ・ライアンによるラブコメは、ゴールデンコンビによる仕事ということである。(ノーラ・エフロンを含めるならゴールデン・トリオ)
本作、マジでアニーが探偵を雇ったり、ボルチモアから飛行機に乗ってシアトルに赴いたりと、会ったこともないサムに運命を感じて、異常な執着を見せます。
あまりヤバいストーカーっぽくは映してないし、やってるのがメグ・ライアンなので比較的コミカルであり怖さが緩和されているんだけれど、やはりストーカーはストーカーである。
で、ここで厄介なのが、アニーは婚約しているということ。
だからこそアニーの行動は、観る人によっては最悪の行為であり、顰蹙を買うことになってしまうと思うんですね。
結果、運命を信じた末に、エンパイアステートビルを一望できるレストランで、婚約破棄しちゃってるし。
婚約者のウォルターが本当に憐れ…と言いたいところだけれど、これは演出の妙なのか何なのか、あまり憐れに映らず、寧ろカッコいいぞウォルター!と。
立つ鳥跡を濁さずと言うか、振られる形になってんのに、去り際が美しい。だから、展開としてはドロドロしてるはずなのに、寧ろ潔い。
それにアニー自体の心の葛藤、「(シアトルの眠れぬ男を気にしながら)このまま結婚してしまっても本当にいいのだろうか?」という心理描写もされているので、決して“単なる”我儘とか自分勝手と言うわけではないんですね。
レストランでのウォルターも言うように「このまま他の誰かを愛したまま結婚するくらいだったら…」、婚約破棄してしまった方が、長期的に見たら、アニーの決断も、ウォルターがそれを受け入れることも、間違っているとは言い切れないものがあります。
更に、他人軸ではなく自分軸に立脚し、母の言うマジック、所謂運命を信じ、それに従ったなら、ウォルターとの結末は当然の結果とも言える。
そしてラストは、『めぐり逢い』よろしく「ケリー・グラント」か?ってことで、これはありきたりな展開だと思うけれど、換言すれば普遍的であり、安心して観られるということである。
結局シアトルでもボルチモアでもなく、ジョナが勝手にアニーに対して出した手紙に大人たちが振り回された結果、バレンタインの夜にNYのエンパイアステートビルの屋上という象徴的な場所で、サムとアニー、そしてジョナがめぐり逢い、少なくとも3人にとってはハッピーエンドです。
という感じの映画なのですが、このような映画はまぁ、賛否はあって当たり前だと思いますが、所謂運命というものを信じてそこにスタンスを置いた場合、とてもロマンチックな映画だと思います。
トム・ハンクス×メグ・ライアンなので、どうしてもコミカルに映りがちだとは思いますけれど、そこが重たくなりすぎず良いところ。演出の妙であり、この二人の俳優は、最初からそこに一緒に存在してたかのような安心感があるんですよね。
そして本作では忘れてはならないのが、使われている劇中曲たちの存在。
重要なシーンで非常に印象的且つ効果的に使われていて、この劇中歌が、登場人物たちの深層心理、気持ちを代弁していたり、ロマンチックなムードを演出していたりします。
Celine Dion - When I Fall In Love ft.Clive Griffin
総評
クリスマス映画として観たら、そこまでクリスマス関係してないっていう。でもロマンチックなムードはクリスマスにぴったり。
そしてアニーの婚約者ウォルターの扱いや、アニー自体の言動に対して、受けつけなかったり、賛否があるのは当然の話として、これはこれで素敵な運命を感じさせるラブコメだと思います。
一目惚れがあるのなら、見たことない、逢ったことない惚れがあってもいいやん。(願望)
大事なのはその人が、存在しているか否かだよ。MFEO(Made for each ohter:お互いに運命を感じる)
劇中で使われている楽曲群に関しては本当に秀逸。サウンドトラックとして余裕で聴ける。
星3.5!