それは、今日 起こるかもしれない
もしもアメリカ合衆国大統領が権威主義の暴君で、それに反発した州が独立を表明し、連邦政府との内戦が勃発したら…というifを描いた映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』をレビュー。
シビル・ウォー アメリカ最後の日
原題:Civil War(意訳:内戦)
製作年:2024年(アメリカ/イギリス)
ジャンル:戦争/アクション/ドラマ
監督/脚本:アレックス・ガーランド
音楽:ベン・ソールズベリー、ジェフ・バロウ
撮影:ロブ・ハーディ
編集:ジェイク・ロバーツ
キャスト:キルスティン・ダンスト、ヴァグネル・モウラ、スティーヴン・ヘンダーソン、ケイリー・スパーニー、and more…
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のあらすじ/概要
「エクス・マキナ」のアレックス・ガーランドが監督・脚本を手がけ、内戦の勃発により戦場と化した近未来のアメリカを舞台に、最前線を取材するジャーナリストたちを主人公に圧倒的没入感で描いたアクションスリラー。
連邦政府から19の州が離脱したアメリカでは、テキサス州とカリフォルニア州の同盟からなる「西部勢力」と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。就任3期目に突入した権威主義的な大統領は勝利が近いことをテレビ演説で力強く訴えるが、ワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。戦場カメラマンのリー(キルスティン・ダンスト)をはじめとする4人のジャーナリストは、14カ月にわたって一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うべく、ニューヨークからホワイトハウスを目指して旅に出る。彼らは戦場と化した道を進むなかで、内戦の恐怖と狂気を目の当たりにしていく。
出演は「パワー・オブ・ザ・ドッグ」のキルステン・ダンスト、テレビドラマ「ナルコス」のワグネル・モウラ、「DUNE デューン 砂の惑星」のスティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、「プリシラ」のケイリー・スピーニ。
映画.comより抜粋
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』の感想/レビュー
その前に
LUNA SEA - CIVILIZE
罪人達の詩さ 流行もの道化師達の詩は
紙一重の平和さ 世界を人の悪が 脅かすだろう
私は誰 何をしたいのか 生きているのか?
(Don't Care)
欲望は腫れ上がる 醜い金の亡者の街で
カリスマ 独裁者 世界をその手で 粉々にしたいのか
貴方は誰 何をしたいのか 生きているのか?
行き場を無くした 歪なCIVILIZE
氷の世界か 砂の惑星か
行き場を無くした 歪なCIVILIZE
生き残る事も 夜明けも見えないまま
行き場を無くした 歪なCIVILIZE
氷の世界か 砂の惑星か
行き場をを無くした 歪なCIVLIZE
生き残る為に 夜明けを見つけたい
貴方は誰 何をしたいのか 生きているのか?
欲望は腫れ上がる 醜い金の亡者の街で
カリスマ 独裁者 世界をその手で 粉々にしたいのか
私は誰 何をしたいのか 生きているのか?
(Don't Care)
罪人達の詩さ 流行りもの道化師達の詩は
紙一重の平和さ 世界を人の悪が脅か すだろう
by LUNA SEA
ということで、アマプラで早速配信されてたので『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を鑑賞。
タイトルがCivil Warだからってのもあるかもしれないけれど、観終わったらLUNA SEAの『CIVILIZE』が脳裏を過りましてな。
この曲は、曲そのものがどこか近未来的でカッコいいというのもさることながら、その楽曲構成がシンメトリックな構造になっていて、丁度中間辺りで反転して、終わりに向かって冒頭に戻って行くという構成になっている。つまり繰り返され続ける。リピート再生していたらもうパニック。
ということで、何が言いたいかという、歴史も繰り返されるということである。
アメリカは南北戦争という内戦の過去がある。
アメリカじゃなくても世界は他国間での戦争に飽き足らず、歴史上至る所で内戦や内紛を起こしてきたという歴史がある。それは過去ではなく現在進行形でもある。
今後アメリカも、内戦が起こらないとも限らない。というifを描いているのが、本作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』。
それを追うジャーナリスト達。
うーん。危険と隣り合わせ。危険を顧みないのは勝手なんだけれど、一体何の為に?という疑問も残る。
命を賭してまでやることなのか。またその覚悟はあるのか。
というか、そんなに憎たらしい合衆国大統領の一言と写真を収める為に、命を賭す価値があんのかと。
合衆国憲法違反の大統領任期三期目に突入したり、何の後ろめたいことがあるのか、FBIを解体したりという大統領の独裁はいただけないし、世間の不満も解るし、そんな政府は陥落させるべきなのであろうけれども、それにしても疑問が残る。
本当にそんな人間の為に命を賭す価値があるのか?
例えば国民など、誰の為にとか、例えば自由や平和など、何の為にとかの前に、その行い自体もまたエゴでしかないのではなかろうか。
やはり、ジャーナリズムというものにも疑問が残る。
例えばそれが本当に中立なのか?とか。
勝手に国民の総意として恣意的に扱っていないかと。
中盤トワイライト・ゾーン的なところに突入して、内戦とは無縁かの如き平和な町に突入する。
店の店員は言う。
「関わらないのが1番」。
ジャーナリズムの観点から見て、それが正しいことなのかどうかはわからないけれど、平和とは引き換えられないのではなかろうか。
だから、ある意味ではそれも、(悪く言えば傍観、ないし静観)することも、真理なのではなかろうか。それで平和が守られるのならば。
勿論その答えを私は知らないけれど。
本作、クライマックスでワシントンD.C.に入ってからの銃撃戦は、宛ら冒頭でノルマンディ上陸作戦を描いた『プライベート・ライアン』の残虐性には遠く及ばないけれど、十分な迫力と緊張感で描かれている。
十分にアメリカの終焉を感じさせるものである。
何よりビックリなのは、久しぶりにキルスティン・ダンストを観たような気がするけど、映画が始まって暫くは、この人がキルスティン・ダンストやって気づかなかったことだよ。
劇中の挿入歌が、マッチしてたりミスマッチだったりで、なんだか妙に印象的であった。
ということで総評
結局右にしろ左にしろ、何が正しくて何が正しくないの?何が正義で何が悪なの?と、そんなことに正解はない、立場によって見方も変わるのは十分に承知しているつもりだけれど、甚だ疑問が残る。
星3.5!



