姉が婚約したのは、絶対に許せない男だった。

内側から燃える痛みに泣く、舞台作品原作の映画『成れの果て』をレビュー。


成れの果て

制作年:2021年(日本)

ジャンル:ドラマ

監督:宮岡太朗

脚本:マキタカズオミ

原作:劇団elePHANTMoon舞台作品『成れの果て』

キャスト:萩原みのり、柊瑠美、木口健太、秋山ゆずき、後藤剛範、田口智也、and more…


『成れの果て』のあらすじ

小夜(萩原みのり)は東京で生活していた。ある日、田舎で暮らす姉のあすみ(柊瑠美)から連絡があった。それは今度結婚するという内容の電話。「おめでとう。何て人?」あすみは言いにくそうに名前を言った。「布施野さん(木口健太)……」その名前を聞いて小夜は愕然とした。その男は8年前にある事件を起こしていた。

amazon.co.jpより抜粋


『成れの果て』の感想/レビュー

の前に。こちら。DIR EN GREY『陵辱の雨』。


『陵辱の雨』の歌詞

罪無き人さえも

生温い雨に打たれ根づく傷


嘘が今生まれ

どこかで嘘ではなくなって


いつしか言葉もこの日さえ全て

あやまちに埋もれてゆく

青く汚れない記憶抱きしめ


激情の涙に希望さえ滲んでゆき

今を生きてゆく強ささえ…

激情に狂い嘆き

祈りを夕日にかかげ


burning from the inside

(内側から燃える)

cryinig with pain.

(痛みに泣き叫ぶ)

アナタニハスクエナイ


激情の涙に失った優しさとは

生まれここに与えられた愛

失った心の理由(わけ)

自分の弱さだろ…?


It is then

(それは)

the proof of sadness,

(悲しみの証明)

caused by absolute

(絶対的な)

justice

(正義)

In the lukewarm rain

(生温い雨の中)

which dose not stop…

(それが止むことはない)

by DIR EN GREY

作詞:京


観終わって直ぐ、この『陵辱の雨』が頭ん中に去来した。

陵辱、つまりレイプが大きなテーマとしてあるからってのもあるけど、曲のタイトルだけじゃなくて、詩世界が映画そのまんまじゃないかなって。


大前提、そのまんまの意味での陵辱なんてものはあってはならないのだけれど、その陵辱を受けた小夜と、姉のあすみ、そしてレイプ加害者である布施野と、彼、彼女等を取り巻く人々のお話。だけれどこれは多分きっと現代社会の縮図でしかない。

そのまんまの意味ではない陵辱は、多分誰しもが、知らず知らずのうちに受けたり与えたり、或いは傍観したりしているであろう。

誰だって加害者であり被害者である。因みにオレの中では傍観者も加害者である。とも思うけれど、誰しもがそんか強くはないので、貴方には救えないという現実を突きつけられた時、傍観者もまた、被害者たりえるのであろうとか思うとか思わないとか。

ということで何れにせよ、そのまんまの意味であろうがなかろうが、陵辱はよろしくない。


劇中誰しもが、傷つき傷つけ、後悔したり、トラウマやコンプレックスを抱えている。そしてその行いが、須く、小さな町だか村社会で起きた事件に対してのセカンドレイプになっている。

そして殆ど全ての人間が、エゴを剥き出しにしつつも、そのクセ真っ直ぐに生きられる強さなんぞは兼ね備えていない。

だから化粧なりなんなり、化けの皮を被っている。その化けの皮が剥がれた時の生身の姿、成れの果てが、あまりにも弱々しく痛々しい。

でもオレは思う。弱々しくても痛々しくてもいいじゃねーかと。

ただそこには、痛みや弱さに寄り添える優しさや強さが側にあって欲しいなと。そういう青臭い願いのようなものが、オレの中である。またオレ自身が綺麗事でもなんでもそういう存在でありたいと思う。誰に対してもと言うわけではない。そうありたい気もするが、残念ながら聖人君子からは程遠い。


其々のセレナーデ(小夜曲)を、其々の大切な人のために捧げろやと。主人公の名前が小夜だけに。


総評

主要な女優二人の迫真の演技もあって、とても痛々しい。(とは言えそこまで痛々しくは撮っていないと思われる)

特に主人公の小夜を演じた萩原みのりさんの熱演は見どころであろう。とんでも目力である。

映画を観ながら、説明されない登場人物たちの背景や心理描写を読む必要があるのかもしれないけれど、それって読まないと解らないものなのであろうか。

そんなことも読めない、というか読もうとしない、換言すれば、人の気持ちを理解できないしようとしないからこそ、こういう事件なり、事件に対する二次被害などが起きたりするんじゃねーのかと。目に見えるものだけが全てではないんだよ。


星3.5!