ごめんね素直じゃなくって、プリキュア…でもなくって…

胸糞鬱映画として有名らしいスペイン産映画『マジカル・ガール』の感想/レビュー!

私はこの映画のDVDを持っていた。しかし、数年間観ることなく封印していたのであったが、その封印を遂に解いてしまった結果…


マジカル・ガール

Magical girl

制作:スペイン(2014)

ジャンル:サスペンス/ネオノワール

監督/脚本:カルロス・ベルムト

撮影:サンティアゴ・ラカイ


粗すぎるあらすじ

12歳の少女バルバラが、数学の授業中にメモを廻して、ダミアン先生に咎められ、メモを渡しなさい!と怒られたと思ったら、メモは掌から消えていた。

悠久の時を経て(経てない)、今度は日本のアニメ『魔法少女ユキコ』に憧れる12歳の少女アリシア。彼女は白血病であった…そんなアリシアの秘密の願いが書かれたノートを発見し、こっそり盗み見る失業中のシングルファーザー、ルイス。そこには、「魔法少女ユキコのドレスを着て踊ってみたい」そして「13歳になりたい」と書かれてあった。愛娘の願いを叶えてやりたいと、90万円のドレスを購入するため、愛蔵の書物を売り捌き、宝飾店の強盗までをも決意するのであったが…


親方!空から女の子が!(違)



空から(女の子ではない)何かが降ってきた!


マジ、マジカル!

何がマジカルって、何よりワシの空っぽな頭がマジマジカル。

ってなると思ったんだけれど、割と個人的には納得のいく結末でした。納得つってもアレなのだけれど。(何だよ)

映画『マジカル・ガール』のマジカルレビュー!(ネタバレ大アリ。)

先ず感じたことが、監督のカルロス・ベルムトさん、我が神、スタンリー・キューブリックからの影響受けてます?まぁ影響受けるなと言う方が難しいような気がしないのでもないのですが、先ずキューブリックが監督した『ロリータ』の存在と、画面中のシンメトリックな構図であったり、細かい小道具の使い方であったり、必要以上の説明を徹底排除した脚本である。あと、適度なシュールさ。

キューブリックの映画は神の視点とかよく言われますが、この映画からもその神の視点を凄く感じたんですね。簡単に言えば徹底した客観視点ということです。ただ、キューブリックとは決定的に違う面も感じました。それは後述。


ルイスの愛娘である12歳のアリシアが、登場した時点で余命幾許もない白血病であるとか、確かに胸糞悪いし憂鬱である。憂鬱でしかない。しかも救いもなさそうだ。

更に、フィルム・ノワールの進化系であるネオ・ノワールらしい典型的ファム・ファタール(悪女)、バルバラの存在である。虚言癖、虚妄癖、反社会的思考回路、自殺願望等々、しっかりした精神疾患をお持ちである。しかし精神疾患があるから何なんだよ。胸糞悪い女である。

可愛い可愛いアリシアも、父ルイスを破滅に導いたという意味で、立派なファム・ファタールである。

でも仕方ないじゃん。愛する娘のために、パパなんだってやっちゃうよ!

そう。なんだってやっちゃうようなスペインの社会情勢もまた胸糞を助長させる点である。神は死んだ。(ニーチェ)

しかしながら、ルイスもバルバラも、致し方ないところが多々あるとは言え、結局は自分で選択した結果の末路なんだよね。その点はね、個人的には全然鬱展開だとも胸糞だとも思わないんですよ。そら最悪の場合そうなるだろっていう。暴走を止めるための天啓だか忠告だかがあったにも関わらずだし。


そしてちょいと確信的な部分に触れますけど、復讐の権化となったダミアンに結果としてルイスと同じようにアリシアも撃たれて死んでしまいますけど、本当はね、ルイスとアリシア二人でもう少しの間暮らせたらよかったのだろうけれど、ルイスが亡き者になった今となっては、アリシアのあの結果は、逆に救いとまでは言わないけれど、悪い結末だとも感じないんですよね。何なら劇中触れられている通り、根は善人であるダミアンは善人であるが故にアリシアに向かって引鉄を引いたのではないのか。

そしてアリシアのこの眼差しが何を意味するのか。



アリシアの一番の願いは、涙を誘いそうなラジオでも流れてたように、パパと一緒にいることだったから。だから、あの世があるのかどうか知らないけれど、更にはキリスト教圏においてあの世だか天国だか死自体の扱いが難しいところではあろうかと思うけれども、パパと一緒に逝けてよかったんじゃないかと、パパのいない世界で短い余生を過ごすくらいなら。と、私は感じました。

なんなら脚本も書いてる監督の少しの愛を感じました。

これはダミアンとバルバラの間の歪な愛の形にしてもそうなんですけれど。

この愛を感じさせる撮り方という点で、カルロス・ベルムトが撮ったこの映画には、スタンリー・キューブリックの撮った数々の映画ほどのペシミズムは巣食っていないと感じたんですね。


で、結局ですよ。この映画における二人のマジカル・ガール、アリシアとバルバラ(バルバラは魔女!)に限らず…


女の子は皆んな魔法使いだよねぇ←


男性諸君、気をつけましょう。女性は老いも若きも皆んな魔性魔法使いです!私なんかもう何回魔法にかかったかわなんないですからね。←何回でもかかりたいですけどね←いや、やっぱ次があるなら次くらいが最後にして←


っていう点では別に男も魔法使いだろ!いい加減にしろ!特にオレ様のようなイケメンカリスマモテ以下略。


映画『マジカル・ガール』の総評

不必要な演出やセリフを極端に排除している映画なので、非常に考察のやり甲斐がある映画かと思います。

けれど、その考察の必要もないくらいには、間や撮り方、俳優陣の表情などで十分に説明されているのではないかとも思う。そう言う点で、監督兼脚本のカルロス・ベルムトは凄まじいと思う。

勿論、ルイスが何故にペドロと名乗ったのかとか、其々のチャプター冒頭の『世界』『悪魔』肉』が何を意味するのかを、キリスト教圏ですから、聖書やカトリックの知識であったり(特にマタイによる福音書でのイエスに対する悪魔の誘惑と、創世記)、ブリキの意味するとろを『オズの魔法使い』のブリキがどういう存在であったかということから事前知識を得ていた方が、観た瞬間のフィードバックが違ってはくるはずなので、その辺は不親切であると言えば不親切である。皆んなが皆んな、そんな知識があるわけではないし、知識があって当たり前ではないのだから。ただし別に親切である必要もない。何でもかんでも説明する必要はないのである。ここで聖書を紐解くなら、なんでもかんでも説明して人間を誘惑し結果として堕落させるのは悪魔の仕業であって、神の仕業ではない。

トカゲの部屋の意味にしても、江戸川乱歩の黒蜥蜴を読んでいたら、あの部屋で何が行われていたのか想像し易いでしょうが、人によってはやはり不親切である。頭マジカルで口ポカーンでしょう。不親切じゃなくてもポカーンでしょうけれども。


撮影のサンティアゴ・ラカイさんも太字にしてますけど、まぁ素晴らしい構図、撮り方ですね。


鏡に写った!あなたと二人!(globe:FACE)


とかね。だから、脚本も素晴らしいんだけれど、映画的な撮影技法にも優れた映画だと思います。資本主義や物質主義対しての警鐘は言うまでもない。(かと言って共産主義や社会主義を賛美しているものでもない。)中立である。神の視点である。ということで…


星4.5!