シーアのニューアルバム『Reasonable Worman』収録の『I Forgive You』って曲が中々よかったですぞ。



シックなバラードですね。

前を向いて進んでいくために、何かしらの罪を犯した相手を私は許すって歌い続けてるだけのシンプルな歌詞ですけど、シーアの掠れた声も相まって良いですな。人間にとって許すってことは、とても大事なことですよね。

私は、ごめんなさい!許して!許されなくてもごめんなさい!ってことはあっても、私が許す許さないの物事なんて特にありませんけどね。いつもお世話になっております。ありがとうございます。くらいのものである。


同アルバムだと『Little Wing』って曲も中々よかったですぞ。



駄菓子菓子、おっさんギタリストの端くれである私からしてみれば、『Little Wing』言うたらジミヘンじゃろがい!と。



昔一人でひっそりコピーしてみましたけどね。ギターだけ。ジミヘンみたいに歌いながら弾こうとか、思うことすらしませんでした!


シーアに話を戻しますとやっぱこの曲が個人的には一番好きです。



Chandelier〜〜〜〜〜♪


基本的に男女問わず声がいい人のバラードが好きなんですわな。

しかし、バラードとは無縁みたいなバンド(メタルだとかハードコアだとか)をやっていた時は、仕方がないのでせめてギターだけは泣かせていたつもりになっていた。

しかしバラードとは無縁みたいなバンドの場合、お客さんもバラードとは無縁みたいなお客さんが多いからなのか何なのか、やはりというべきか何なのか、チョーキングやヴィブラート、ロングトーンを駆使したようなプレイよりかは、圧倒的に音数の多い所謂速弾きプレイばかりが持て囃されていたというかクローズアップされていたというか。


まぁ実際そのようなプレイの方が圧倒的に多かったわけなんだけど。(自業自得)


表現のための技術であって、技術のための技術ではないんだなぁ。


閑話休題。


長年弾いてきたギターだけれど、バンドなんてのはもってのほかで、今は家でひっそり気が向いた時に爪弾いていられればそれでいい。ギターないならない方が楽かもしれない。

あの、他者から見て私個人のアイデンティティがギターになっていて、ギターを弾かないオレに価値がないのであれば、オレはそんな人間関係いらない。必要とされることと、利用されることは違うと思うから。

ありきたりな話だけれど、楽しいから音楽なのに、楽しめないならそれはもう作業じゃん。

私は音楽が好きです。音楽に限らず好きなこと、趣味いっぱいありますけれども、好きでおまけにその好きなことに従事していると、嫌になっちゃうこともあるんだね。ましてや人間関係で成り立つバンドは、本気でやればやるほど、好きだけではやっていけないところがある。かと言って本気でやれない以前に楽しめないならもはややる意味がない。というのが私の価値観。

そんなアンビバレントな感情は中々理解されるもんじゃないんですけどね。でもいいんですよ。理解されようがされまかろうが、オレはオレの自由意思で生きてますもので。ギター捨てようがどうしようがオレの自由だぁ!


てことでgoodnight♪