「どこまで死刑に出来るのか」ってことを考えないから、軽々しく死刑死刑って言えるんだっていうのを強く感じるよ
法律ってのは、いろんなケースを想定しなきゃならん。その上でそれぞれのケースとの整合性を取る必要が出てくる。まあこういうのは法律を習ってる人間にしてみればイロハのイなんだろうが、自分の感情しか大事に出来ん人間には無理ってことなのかねえ
だがそういう人間でも、自分がもしかしたら死刑になるかもしれないってケースになると途端に逃げ腰になる。見て見ぬふりをする。話を逸らそうとする。いつもそうだ
リンチ殺人でその場に居合わせただけの人間を死刑にしろと言うのなら、自分がもし、そういう場に居合わせてしまったらどうするんだ? そんなことある筈がないと逃げるんだろうが、さて、万が一ってことが起こらないとどうして言えるのかねえ。そして自分がそんなことに巻き込まれた時に、その場に居合わせたというだけで死刑にされて、それを受け入れることが出来るのか?
そこまでじゃなくても、学校や職場で虐めを受けてた人間が自殺した時、自分に火の粉が降りかかることを恐れて見て見ぬふりをしたことの責任を問われたら、どんな言い訳をするのかなあ? 被害者にとっては、見て見ぬふりをした人間も共犯にしか見えなかったりするんだよ? 被害者感情を考慮するなら、そういうことも考慮されなきゃおかしくないか?
被害者や遺族の気持ちっていうのはある程度は考慮もされるさ。だがね、それでもどうしても線を引かなきゃいけないんだ。被害者や遺族の気持ちの全てを叶えることは出来ないんだよ。そうでないと、見て見ぬふりをした人間まで死刑にしなきゃならなくなるよ? もしそれで何も出来ずに見ていただけの自分に死刑判決が出たりしたら、納得出来るのか?
俺は出来ないね。そんなことは納得出来ない。だからどこかで線を引かなきゃいけないってことだっていうのが理解出来る
俺の実父に対する恨みだってそうだ。俺がどれほど実父の死を願っても、今の日本の社会がそれを容認することは出来ない。実父のやってたことを知りながら見て見ぬふりをした人間達を死刑にすることも出来ない。それは分かるし納得は出来なくても理解はするようにしてる
死刑を濫発しないのは、「理由さえあれば人を殺していい」という誤ったメッセージを受け取られないようにする為というのもあるんだろう。いくら理屈をこねくり回したところで、死刑が「人が人を殺す」刑罰である事実は変わらない。
そうやって死刑判決が簡単に出なくなったのに、実際の殺人事件の件数は、厳しかったであろう戦前に比べてもちゃんと減ってる。もうその時点で、死刑が抑止力になるという根拠も崩れてしまっているんだろうさ
女児殺害、二審は無期=裁判員判決の死刑破棄-「計画性ない」・大阪高裁
神戸市長田区で2014年9月、小学1年の女児=当時(6)=が殺害された事件で、殺人と死体損壊・遺棄..........≪続きを読む≫