被害者の女の子に共感しすぎてしまったのかねえ。。。他人の痛みが分かるという錯覚の恐ろしさかな | 錆鼠熊のブログ

錆鼠熊のブログ

自戒を込めて

実際には他人の痛みなんか理解できる方がおかしい筈なんだがな

そうでなけりゃ、何か事件事故の話を聞くたびにその被害者の痛みや苦しみをそのまま感じなきゃいけなくなるから精神がもたんだろうに

だから、本来は「何となく分かる気がする」程度の感覚の筈なのに、他人の痛みが分かるみたいなことをまるで宗教の教義のように要求するのも恐ろしいことだと感じるよ

必要なのは「何となく分かる気がする」という感覚であって、本当に分かるなんてことは現実にはあり得ないことなんだからな

だが、この事件の場合は、その痛みが理解できた(ような気がしてしまった)のが最後のきっかけになったのかねえ

被害者の痛みや苦しみが分かってしまった気がしたから、彼女の望みを聞くことが救うことになるとでも思ったのかねえ。。。

例えばそれが、死人に口なしなのをいいことに自分の罪を軽くする為の虚言だとしたらそれこそ論外だが、本人を知らんし直接話を聞いたわけでもない俺には家裁の判断だけが考察の材料にしかならんけど、もし家裁の言う通りだったとしても俺は加害者の発想を是認することは出来んね

被害者の痛みや苦しみが分かったからこそ自殺に手を貸したなんて、加害者の言い訳でしかないと思う

世の中には自殺を是認する人間もいるようだが、俺はそれには全く賛同できない。実の母親に自殺されたからこそ、賛同できない。残された者にとってはあんなものは殺人と同じだ。自殺を是認することは、殺人を是認するのと同じだとさえ思う。生きていけないと思う程に追い詰められていれば人を殺してもいいと言うのと同じだろうとしか思わん

俺自身は、実母との関係は最悪だったから大してショックも受けんかったが、少なくとも俺の目からは母親とは良好な関係に見えた妹の苦しみを見てしまったら、それこそ殺人と全く一緒としか感じんよ。だから俺は決して自殺を是認しない。少なくとも現時点ではそれを是認出来る根拠が無い。ましてや嘱託殺人を是認するなぞ論外だ

とは言え、その罪をどう裁くかは俺の役目じゃないから家裁が保護処分と決めたことについてとやかくは言わんけど、その程度の処分で済んだことを決して「許された」からだと思ってもらいたくはないかな

それと同時に、家裁の言ってることが本当に事実だったとしたら、他人に自分を殺させるような行為も俺は決して是認しない。自分が楽になる為に他人を殺人犯にするなぞ、許されるとは到底思えんからね

今一度言うが、残された者にとっては自殺は殺人と何ら変わらん。遺族の一人としてそう思う

ただし、自殺を是認する気は毛頭ないが、そこに至る原因をしっかりと把握して対処して同じような事件を防ぐ努力をすることも大事だと思う。ましてやそこに何らかの別の事件があったとしたなら、それを見過ごしては駄目だと心底思うよ











友人の少年、保護処分に=高3女子殺害-津家裁
 三重県伊勢市の山林で昨年9月、高校3年の女子生徒=当時(18)=が殺害された事件で、津家裁は13日..........≪続きを読む≫