まあ分かっちゃいたが、相変わらず養父は元気な人だった。でもさすがに「おじいちゃん」になったかな | 錆鼠熊のブログ

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自戒を込めて

元気と言ってもテンションが高いとか活発とかそういうんじゃなくて、身のこなしが軽快でかつ腰が据わってるっていう意味でだが。とても70近いとは思えん

背中から見てるだけだとひょっとしたら俺より若く見られるんじゃないだろうかと思ったりもする

さすがに顔を見ればそれなりに年齢も感じるし、子供達を連れていれば「おじいちゃん」にも見えるだろうが、それでも50代だと言えばもしかしたら通じるかも知れない

子供達に付き合ってショッピングモールの中を歩き回り、玩具売り場で玩具の品定めに付き合い、上の子の新しい服選びにも付き合い、ゲームコーナーにも付き合い、あわただしく食事を済ませみたいな事をしてても殆ど疲れた様子も見せなかった

むしろ、俺の方が疲れた気がする。さすがは現役バリバリの職人として現場に立ち、若い奴らを従えてるだけはあると言うべきか。一日PCの前に座ってるだけの俺とは違う。そういう養父の姿を素直に「格好いい」と思えるのは、俺もそれなりに成長できたという事かな

彼が俺の実母と再婚してから打ち解けるまで10年以上を要した事が、何だか妙に気恥しい。彼は俺を受け入れてくれてたのに、何を意地を張ってたんだか

いやはや、子供だったなあ。まあ実際に年齢的にも子供だったんだが

だからこそ、子供は親の影響を強く受けるという事が分かる。その事実を無視して現実には対処できんさ

生まれつきの性格とか遺伝子の影響とか、そういうものが全くないとは言わんけど、そんなものは所詮、ちょっと感情的になりやすいとか逆になりにくいとか、性格の「傾向」に影響を与える程度でしかないと思ってる。その程度は充分、後の接し方で対処できるものだと俺は思うね

むしろそうでなきゃ、努力しても無駄だという事になってしまうし、そもそも生まれつきや遺伝子で決まってしまってるなら躾をする意味すらないだろうさ

養父も、過去の過ちを悔いて自らを改め、俺を救ってくれた。そんな彼の努力を嘲笑うかのような考え方は、正直言って非常に不愉快だ

自分の個人的な価値観や発想の為に他人を疎かにするような人間を俺は「性格が良い」だなんてこれっぽっちも思わんよ。それどころか他人の感情を逆撫でし、あまつさえ傷付けようとしながら自分は悪くないと思い込んでる厄介者の一種としか思わんね

別に、それによって自分を支えてるのなら必要なことなんだろうからその考えそのものを変えろとは言わん。だがそれを、「言論の自由」「表現の自由」の行使として他人からも見えるところに発信するなら、こちらも同じように「言論の自由」「表現の自由」を行使させてもらうだけだ。それだけの話だよ

無論、そういう考えの人間の存在そのものを否定するつもりもさらさらないけどね