俺が小学生の頃、子供の前で堂々と野球賭博の話をしてる大人なんて珍しくもなかったなあ | 錆鼠熊のブログ

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自戒を込めて

と言うか、話だけじゃなくて実際に集金したり配当を受け取ったりしてたよ。そんな連中が法律を守れとかルールを守れとか大人の言う事を聞けとか、どの口が言うんだって正直思ってたな

なにしろ教師が職員室で、生徒が説教されてる隣でそんな話をしてるんだよ? 誰が言う事を聞こうと思うんだよ、そんな大人

野球賭博が犯罪だってことくらい、小学生でも知ってたぞ。全員って訳じゃないが、少なくとも俺の周囲では知ってる奴は多かった

子供が生意気だとか大人の言う事を聞かないとか、そんな事を言う前にそもそも大人の方が手本になってるかどうか自分を省みるべきだと俺は思うね

自分より立場が弱い人間をいびって苦しめてる姿とかも、しっかり見られてるぞ

他人の存在を認めず、現実を見ず、妄想の世界に逃げ込んでる姿とかも、しっかり見られてるぞ

そんな上で正論とか綺麗事とか根性論とか語られたって、薄ら寒いだけだよな

子供は大人がやってる事を見て覚えて成長していくんだよなあ。だから子供がどんな人間に育つかは、どう足掻いたって恍けたって誤魔化したって大人の責任なのさ

俺の子供達は、いくら頑張ったって世界を動かすようなすごい能力を持った大きなことを成し遂げられる人間では残念ながらない。と思う。少なくとも現時点では。何しろ、そういう人間になれるような手本を俺が何一つ示してやることが出来んからね

今後どこかで何かの出会いがあってそういう手本を見せてくれる人間がいてくれたりしたらもしかしたらとは思わんでもないけど、そんな偶然は期待するだけ無駄だろう

ただその代わりといっては何だが、問題を抱えてもそれと折り合いを付けながら、自分と、自分の身近な大切な人を守る程度の方法なら示してやることは出来ると思う

困難に立ち向かう力を持つ人間も、やっぱりその為の方法を誰かが示してくれたからこそそれが出来る筈なんだよ。自分にそれが出来るからって、そういう出会いが無く教わることが出来なかった人間にはそんな力は備わらない

自分の力だけで困難を克服したと思ってても、詰まるところその方法を教えてくれた誰かによって助けられたとも言えるし、だからこそ常に感謝の気持ちを忘れちゃいけないんだろうさ

そして、そういう方法を教わることが出来なかった人間が問題に対処できないのを、「努力が足りない」とか「甘えてる」とか「弱い奴は淘汰されて当然」とか言って見下すのがいかに的外れかを、俺は子供達に教えたいね

そうすることで、子供達が大人になった時、少なくとも自分の子供に「こんな親なら要らない」って思われるような人間にならずに済むだろうし、そうすれば無駄に子供との関係に神経をすり減らさずに済むと思うんだよな