苦しい現実をオブラートに包んで受け止められるようにするのが宗教というものだと個人的には思ってる | 錆鼠熊のブログ

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自戒を込めて

俺は極端な現実主義者で合理主義者だから、宗教という回りくどいものを面倒臭く感じてしまうんだよな

天国とか地獄とか、神だの仏だのが救ってくれるとか、もってまわった言い方をされると「いや、そんな例え話は要らないから。ずばっと本質を語ってくれんかなあ」と、じれったい気分になるのよ

死んだ人は天国に行くとかいう慰めは別に要らない。死んだら全てが終わり。生まれ変わりも無い。天国はない代わりに地獄なんてものも無い

俺にとってはそれでいいし、それで何も問題はない

ただ、そういう風に考えないと救われない人間が居る事も否定はしない。誰もが俺と同じ感性を持ってるなんてこれっぽっちも思わない。だから宗教そのものを否定することもしない。必要な人間にとっては必要なんだろうから

でも、だからこそ宗教って、現実に則してないと意味が無い気がして仕方ない。あくまで現実をそのまま受け止めることが出来ない人の為に、やんわりと現実を理解して貰う為のものなんじゃないのかねえ

同性愛にしたって、現実には存在してるんだ。いくらそれを「悪」だと断じても、決して現実とは合致しない

神や仏を信じる人間は、それが科学的に証明できなくても「科学では分からない事もある」と言い張るくせに、自分達が信じられないものは最初っから存在を否定したり「悪」と決め付けて拒絶する。そんな真似をしてるから宗教を信じる事を「逃避」だと言われるんだと思うんだがなあ

受け入れたくないもの、認めたくないものだって、現実に存在する以上は何らかの形で受け入れて認める事こそが、調和や平穏を生むんじゃなかろうか。それをしようとしないから宗教対立とか、自らを正当化してテロを行う奴とかが出てくる

一応、教義の中ではそういうのも説いてるみたいなのにな。「汝の隣人を愛せよ」とか何とか

そういう部分は見て見ぬふりをして、自分達に都合良く解釈してるなんてのは、実は最初に教えを説いた者に対する背信行為だと俺なんかは思うんだがね

いやはや、面倒な話だよ









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