そもそも「甘やかし」と、「甘えさせる」ことの区別が付いてないと話が成立せんだろう
自分で子供を育ててみて、自分の実の親が俺に対してやった事と比較してみてつくづく感じたのは、子供のうちは「自分が生まれてきて良かったんだ」という実感を子供自身が得られるかどうかがものすごく大事なんだという事なんだよな
まずはそれが大前提だと思う。それが無いと、自分を大事にしようという気も起こりにくいだろうし、自分が大事じゃなければ他人の存在も大事とは思いにくいだろうし、そもそもこの世に生まれてきたこと自体が良かったと思えなければ、何事に対しても責任を持てないような気がする
なにしろ、生まれてきたこと自体が良くない事だったんなら、最終的には全て投げ出してこの世から逃げてしまえばいいということにもなりかねんし
ただ同時に、甘やかされるだけだと、「自分は生まれてきて良かったんだ」という実感が得られるかと言えば、何か違う気がしないでもない
やっぱり、多少何か苦しいことがあって、自分がここに居ていいのかという不安を感じた上で、自分の存在を肯定された時にこそ「自分は生まれてきて良かったんだ」という実感が得られる気もする。もちろん、それも程度によるとは思うが
俺の場合、今でこそ自分の存在を肯定されてるという実感も有るものの、同時に、実父から「勝手に生まれてきやがって」とか言われたり、実母から存在そのものを無視されたりなんてことが、意識の根幹部分を構築してるらしくて、強烈な自己否定の感覚もどうしても消え去ってくれないのが、常に大きな爆弾のようなリスクとして残ってしまってるから、子供にそういうものを植え付けてしまっては非常に危険だとも思うね
でもまあ今回はその話は少し横に置いといて、と
とにかく「甘やかし」というのは、子供が親に構って貰いたいという欲求をお菓子や玩具や小遣いで誤魔化して、子供の言葉に耳を傾けたり、触れ合ったり、遊んだりという手間を回避したいという、親の側の「甘え」であって、子供が本当に望んでる事を蔑ろにして都合良く操ろうとするという点において、暴力による支配と本質的には大差ないものだと思うのよ
だから、ひたすら甘やかされて育った子供も、暴力による支配を受けた子供と同様の大きな問題を抱える事になってしまう
子供が、特に物心つくかどうかまでの幼い子供が親に望むことは、玩具やお菓子や小遣いじゃなくて、ただ自分の存在を受け止めて欲しいという事の筈だ。自分の話を聞いて欲しい、自分の事を見て欲しい、相手をして欲しい、構って欲しい。それだけの筈だ
その要求を、お菓子や玩具や小遣いを与える事で誤魔化すから、子供の中でもお菓子や玩具や小遣いを貰える事こそが自分の存在を認めて貰えてる証拠みたいにすり替わってしまう気しかせんね
で、そうやってお菓子や玩具や小遣いを貰える事こそが自分の存在を認めて貰えてる証拠と思ってしまった子供は、その要求が通らないとなると自分を否定されたと不安になって酷く駄々をこねると。しかも大人になってからも、他人が自分の思い通りに動いてくれることこそが自分に対する評価だと思ってしまったり、他人が都合良く振る舞ってくれない時には強くイラついてしまったりなんてこともありそうだ。で、問題行動に至ると
残念ながら、忙しいとか何とか言い訳をして子供の話に耳を傾けることなく玩具やお菓子やお小遣いで誤魔化してきた親が多いのも事実だとは思う。思うが、そうやって大きくなってきた人間が居るという事実は現実として受け止めなきゃね
そういう人間にいくら根性論を振りかざしても響かんだろうし、押し付ければ逃げるか潰れるかが殆どじゃないかねえ。中には適応できるのもいるかも知れんが、そういうのを見付ける方が大変だと思うよ
とにかく、雇う方も手に入る人材で何とかやりくりするしかないんだ。もしくは、自分の意に沿う人材を集める為にそれだけの努力をするかだな。とにかく、無いものねだりをするのはそれ自体が甘えでしかなかろう
以前、最近の新人を「日本語の分かる外国人と思って割り切ることにした」という上司の話が有ったが、なるほどそういう考え方も一つの方法だろうと思ったよ
社会は変わる。人も変わる。企業の方も最近の風潮に合わせて終身雇用を止めたりほいほいリストラするようになったんだから、労働者に対して昔ながらの社畜根性を求めるのは、さすがにいかがなものかなあ
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