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 正月3日、地上波で初めて「君の名は。」を見た。衝撃的だった。拙著『三つの天窓』(2012年出版)の第3章をあたためていたころの自分を思い出させてくれた。

 そのころの私もパラレルワールド(平行宇宙)にかぶれてはいたが、「同じようなモチーフで、このようなスケールの大きい傑作になるなんてすごい」と、ショックを受けた。

 

一方、『三つの天窓』の感想は「シュールすぎる」と言われること多々。それが売れない理由かと、落ち込んだこともあった。だが、もっとシュールな「君の名は。」が、あれほど大ヒットしたのなら、少しくらい『三つの天窓』が受け入れられてもいいのではないかという思いは捨てきれない。そこで、立ち読み代わりに、本文を一部紹介させていただくことにした。

 

『三つの天窓』第三章「ホモサピエンス」より

<レジスタンス>

 ドカドカドカッ……、数名の憲兵たちに追われている。独立運動時代のハンガリーの片田舎、小さな橋の下に身を隠した<彼女>は、息をひそめて追っ手の足音が遠ざかるのを待った。もう大丈夫、行ってしまった……。身の安全を確保した安心感からか、<彼女>は気を失いかけていた。肩からの出血が止まらない。橋の下に身を横たえて、右肩を押さえたまま夢うつつをさまよっていた。

 もう一人、原因不明の衰弱に陥っている「彼女の片割れ」がいた。とりたてて外傷があるわけでも、体調が悪いわけでもない。時代も国籍も、髪の色もちがう女だったが、それは確かに「もう一人の彼女」だった。双子の片方が熱を出して苦しんでいる時、遠く離れた片割れも体の異変を感じるように、「彼女」も全くの健康体でありながら、訳もなく動悸が激しかった。荒い息づかいを抑えて、身をひそめるようにじっと横たわっている。

 そこは現在の東京の「彼女」自身の部屋。危険なものは何ひとつなかった。胸さわぎがして、町に出る。なぜ平和そのものの町が、戒厳令がひかれた戦場のように映る?! ただの旅客機のエンジン音におびえ、地雷でも踏みそうな足どりで歩く?!

 ここの小川は、とっくにコンクリートの下だ。木の橋もない。だが、二つの時空はここで交差していた。両者の世界がシンクロしている。次に交わる時はいつだろう。お互いがお互いの存在を知らなかったが、二人の世界は今、妙に近いところにあった。

 しばらくして、宵闇が<彼女>を救った。レジスタンス(地下抵抗組織)の仲間が闇にまぎれて<彼女>に救いの手を差しのべたのだ。止血してアジトへ連れてゆく。「もう一人の彼女」も家族が迎えにきた。二人とも安堵して、家路についた。

 幌馬車(ほろばしゃ)に揺られている間、<彼女>の意識は混沌としていた。

 

()

()「もう一人の彼女」が、<彼女>の目で見ている。馬車が止まり、着いたのは見知らぬ場所だった。だが、迷うことなくアジトの酒場へ入ってゆく。「あんまり心配させるな」 声をかけてきたのは、見知らぬ男たちだった。「もう大丈夫だ! ヨハン、ヤコブ」 ふいに口をついて出た言葉だが、自分が男たちの名を知っているのが意外だった。二階の部屋で作戦を練るため、階段を上ってゆく。

 一方、東京の自宅のベッドに寝かされた、「もう一人の彼女」は、さっきからうなされていた。寝室に入ってきた母親は、自分の娘がうわごとで、見知らぬ言語を話しているのを不思議に思った。それが遠く離れたハンガリーの言葉であることなど、知る由(よし)もなかった。

 母親に揺り起こされて、目を醒ました「彼女」は、一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。長年、住み慣れた自分の部屋だ。我れに返った「彼女」は、リアルな夢をみたものだと思った。ほんの一場面だけだったが、<彼女>の人生を追体験して、夢の中の<彼女>がうらやましくなった。

                 (中略)

「自分自身の道を進んでいれば、必ず巡り会えるものさ」 どこかで声がしたような気がした。無意識のなかで、まだ巡り会えていない仲間たちを呼んでいた。

                 (中略)

 

<最後の部屋>

 下宿屋の二階。寝っころがって、低い天井を見つめていた。そこは自分の部屋だった。

 どこか、とても遠くに行ってきたような気がしたが、何も思い出せず目をつぶった。どこかの時代に生きている自分から、何か聞こえてきた。

「何カガ自分ヲ呼ンデイル。同ジクライノ強サデ、自分モ何カヲ呼ンデイル」

 自分もそれに応えて、ありとあらゆる時代に生きる自分に、ありったけの思いで呼びかけた。

「ソノ両者ガ遭遇シタ時、行キツク所ヘ行キツイタ時、自分ガ何者デアッタカ分カルダロウ。ソノ時、生マレルモノヲ私ハ見タイ……」

 時の谷のエオドロマエウスにも、すいこまれそうに宇宙を見つめているアリにも、波間に浮かぶバクテリアにも、その声は聞こえた。そして、量子重力理論を完成させたいと切望するホーキング自身にも。

 クルクル、クルクル……、万華鏡がまわる。今夜も不思議な夢が降る。夜ごと日ごと夢の間に間に、こんな会話がなされていた。

                ――完――

 

もちろん、これはフィクションだが、東京で一人暮らししていたころの実体験にもとづいた感覚だ。「君の名は。」の脚本・監督である新海誠氏も、こんな風に希求心をもって、心の叫びを夢にたくした青春があったのだろうか?

ただ唯一、自分のイタイところは恋人を呼ぶのではなく、仲間を呼んでいたことが、五十路女が独身である理由なのだろう。

話は変わるが、「君の名は。」でも重要な意味をもつ<たそがれ>。そこで思い出すのが中島みゆきさん作詞・作曲の「空がある限り」の冒頭だ。「アゼルバイジャンの夕暮れは、女満別(めまんべつ)の夕暮れと変わらない。歩いているうちにいつのまにか、紛れ込んで続いてゆきそうだ」♫と、こちらもシュールだ。たそがれ時は、何か不思議な感覚におちいるものなのだろうか。

だが、私個人としては、<たそがれ>よりも、どこの時代から吹いてくるかわからない<宵闇の風>のほうが、神秘的に感じる。はるか昔だからうろ覚えだが、大学時代、富士山をのぞむ足柄で、「宵闇にまぎれて忍び吹く風は はるか太古の富士より来たるか」という下手な短歌を詠んだくらいだ。だから、『三つの天窓』では、<宵闇>を好んで使った。

 

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