臨検ポリクリ良いですね!(・ω・)
アホみたいに時間があるんですがw
そういえば水曜全休のハズが、
木曜午後の予定が水曜午後に移動してきてしまったせいで
全休の日が無くなってしまいました(。。)
と…最初はショックだったのですが、考えてみたら…
木曜午後から週末連休スタートってことですか?(・ω・)/grin
ん、なんか微妙に嬉しくなってきたですよ!/laugh
さて、今回は時間があるので、
書こう書こうと思いつつ、なかなか書けなかった
『自分が脳死or死体臓器提供を拒む理由』について
一度しっかり書いておこうと思います。
誤解を避けるために先に明記しますが、
自分は(生体間、脳死体、死体の全てについて)
移植医療そのものには賛成です。
そういう選択肢を確保しておくこと自体は正しいことです。
しかし、それは『多様な選択肢を確保する』ことが目的であって、
自分自身がそういう移植を必要とする立場に立った時に、
本当に以前書いたように(特に脳死体or死体)移植を受けられるように
努力するかといえば、それは無いだろうと思います。
代替医療でQOLが確保される間、精一杯生を楽しみ、
自分の人生を全うして、死に臨むでしょう。
ここで、自分は生体間移植と脳死体or死体移植に関して
別の考えを持っていることを先に書いておきます。
まず生体間移植についてですが、
自分の兄弟、子供がrecipientである場合は、
その後、自分がdonorになることで家族に発生するリスク、
donorにならなかったことで発生するリスクを考えて、
もし「悪くない」と納得すればdonorになります。
受益者が明らかであることと、それが身内であること、
そして移植後も自分が生きている可能性が低くないことが重要です。
次に脳死体or死体移植に関してですが、
自分の親族や、関わり合いの深い相手がrecipientであれば、
どちらのケースでもdonorになるでしょう。
しかし、現行法ではrecipientの指定は出来ません。
その状況では、donorになることはあり得ません。
脳死体にしても死体にしても同じ事ですが、
どちらも臓器を取り出せる状況になれば、
可及的速やかに臓器を取り出す必要があります。
新鮮な「移植に耐えうる」臓器が必要なのですから当たり前の事ですが。
当然、遺族が患者の死を真の意味で受容することを待つ事は難しいです。
必要なのは、遺族が死を真に受容することではなく、
臓器の提供に同意する事です。
遺族の感情に振り回されて、貴重な臓器を、その提供の意思を、
無駄にする事はnonsenseなのです。
しかし医学的にみて脳死or三徴候死の状態にあるからといって、
遺族からみても「死んでいる」と確信出来るわけではないのです。
その身体にメスを入れて臓器を取り出す事は、
ある意味「生きている」身体から臓器を取り出す事と同じ事の様に思えます。
そのようなことを、自分の家族がしようとしたならば、自分には肯定できません。
家族がするのを許せない行いを、何故自分が出来るでしょうか?
さらに言うならば、三徴候死からの移植ならともかく、
脳死からの移植というのは自分には理解しがたい行いです。
心臓が止まっていれば、呼吸しなくなっていれば、
誰の目にも死んでいると映るでしょう。それがこれまであった死の定義です。
では何故、脳死という定義が生まれたのですか?
いずれほぼ確実に(三徴候)死に至るのだから、それは死体だ。
随分と乱暴な主張だと思いますが、
何故そんな定義が法的に認められたのですか?答えは簡単です。
(特に心臓などの)移植には「生きた」身体が必要だからです。
残念ながら、きれいな脳死体を外から一目見ただけで
脳死体だ!と判断できるひとは存在しません。
「身体は生きている」のだから当然の話ではありますが。
当然、脳死体or死体移植のdonorがrecipientを選択できるようになることは
非常に大きな危険を孕んでいることは理解しています。
移植を受けるために家族を殺す者、
家族に移植を受けさせるために自殺する者、
その双方が現れてしまう可能性が否定できません。
いや、確実にそういう者が現れるでしょう。
従って、脳死体or死体移植のrecipient選択に
donorの遺志を介在させないことは必要なことでしょう。
しかしそうである以上、『recipient選択に自分の意思が介在し得ない』わけで…
残念ながら自分には、そのような『自分が期待する程』には
donorの意思を尊重されない脳死体or死体移植のために
臓器提供を行う事は出来ないのです。
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なお自分は脳死体or死体移植のdonorになられる方の行いを否定しません。
寧ろ非常に良い行いであると考えます。
同様に、脳死体or死体移植のdonorとなられる方の御遺族の方々が、
その臓器提供に同意なされる行いを否定しません。
故人の遺志を尊重するという意味を考えれば、
それはひとつの弔いの形となる可能性もあると思っています。
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これは余談ですが、
脳死の話を一般の方々としていると感じることですが、
脳死体移植のdonorにならなければ、管だらけの生を余儀なくされる
といったイメージを持っている方が少なくないように思えます。
「無為で家族の負担になる生よりも、誰かの為になる死を」
という奇妙なセット販売の構図が見え隠れしています。
一体誰から与えられたイメージなのかハッキリしないのですが…
それは尊厳死やらDNRにより対応される範囲であって、
脳死体移植でなければ対応できないような話ではありません。
もしこのような誤解を持たれているかたは、ご注意ください/point