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Arne Jacobsen / アルネ・ヤコブセン エッグチェア




Arne Jacobsen / アルネ・ヤコブセン エッグチェア

サイズ:W860×D950×H1070mm SH370
(W:幅 D:奥行き H:高さ SH:座面までの高さ)

商品仕様
シート :グラスファイバー・ベース、ポリウレタンフォーム
カバー :カシミア 100%  座 :ウレタンフォーム
脚部 :アルミニウム 回転式・リクライニング機構(硬さ調節可)

■解説1
近代建築の巨匠ヤコブセンは、コペンハーゲンに生まれ、王立芸術アカデミーを卒業。彼のデザインする作品は、使い手の気持ちを考えユニークで機能的なのが特徴です。
彼の代表建築作品にコペンハーゲンのロイヤルホテルがあります。内装から、館内の設備品、ドアノブ、カトラリー、カーテン、照明、家具と様々なものをデザインしています。そしてロビーに置かれたラウンジチェアは、卵のような有機的な形が印象的で、腰を降ろすと回りからの視線を遮り、落ち着いた空間を作り出します。 人々が行き交うロビーを想定してのプライバシーを配慮したデザインは有名です。

伝統的なデンマークのインテリアデザインを、量産可能な成型合板やアルミを使い、機能主義を取り入れた新しい試みはスカンジナビアンデザインの新たな代表作といえるでしょう。

■解説2
デンマーク、コペンハーゲン生まれ。1927年にデンマーク王立芸術アカデミーを卒業した、デンマークの建築・デザインの第一人者です。在学中から複数の賞を受賞していた初期作品はバウハウスやル・コルビジェの影響を受けていましたが、その後、独自の家具デザインで国際的な名声を獲得。使い手を第一に考えたアント(蟻)、エッグ(卵)、スワン(白鳥)の椅子は20世紀の後半50年を通じて世界で最も売れたデザイン名作家具の一つです。建築では1956年から1961年にかけて作ったコペンハーゲンのロイヤルホテルにより、近代建築の巨匠に仲間入り。このプロジェクトでは家具、照明器具、ナイフやフォーク、ガラス、ドアの取っ手まですべてをデザインしています。1960年代には円や円筒、三角、立方体というベーシックなフォルムに興味が向かい、ユニークな食器も開発。ジョージ・ジェンセン社のカトラリーは1968年の映画「2001年宇宙の旅」にも登場しました。ヤコブセンの作品は、機能性においても国際的なデザイン・クラシックであると現在でも考えられています。

■解説3

主な仕事 1929-71年

1929 「未来の家」デザイン
1932 ベルビュービーチ
1934 ベラヴィスタ集合住宅
1935-37 ベルビューシアター & レストラン
1935 ノボ社・療法研究所
1937 テキサコガソリンスタンド
1937 ステリングスハウス
1942 オーフス市庁舎
1942 スラレド市庁舎
1943-49 テキスタイルデザイン
1952 アントチェア
1956 AJドアハンドル
1956 ルードブレ市庁舎
1956 ラウンドハウス
1957 ムンケンゴー小学校
1957 AJペンダント
1957 AJカトラリー
1958 エッグチェア & スワンチェア
1960 SASロイヤルホテル & SASターミナル
1964 オックスフォード大学・セントキャサリンズ・カレッジ
1967 シリンダ・ライン
1968 Vola社水栓
1969 ルードブレ市図書館
1971 デンマーク国立銀行

■解説4 アルネ・ヤコブセンのいる風景
カーレ・クリント、フィン・ユール、ハンス・ J・ウェグナー、ポール・ケアホルム・・・etc。過去に多くの巨匠を生んできた国デンマーク。その中でも、もっとも重要な人物として、アルネ・ヤコブセンの名前を挙げる人は少なくないのではないだろうか。3101(アント)チェア、3107(セブン)チェア、スワンチェア、エッグチェアなどのフリッツ・ハンセンとのコラボレーションにより、生み出されてきた多くの名作家具。また、SASロイヤルホテル、ベルビュー・ビーチなどの名建築の数々。家具自体についての説明は、アクタスやフリッツ・ハンセン(http://www.fritzhansen.com/)のウェブサイトを参考にしてもらうとして、ここでは、ヤコブセンの建築及びヤコブセンの家具が置かれている空間に注目して紹介していきたいと思う。

ラディソンSASロイヤルホテル
完璧主義者として知られるヤコブセンのすべてが注ぎ込まれている建築。そのこだわりは、建物本体から、このホテルのためにデザインされたもちろんヤコブセンデザインで溢れており、ここからの景色もまた格別である。


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下記 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


アルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen、1902年2月11日 - 1971年3月24日)はデンマークの建築家、デザイナー。ユダヤ人であり、モダン様式の代表的な人物のひとりである。

彼の建築業績の中には、オックスフォードのセントキャサリン大学、マートン・カレッジでの仕事、ラディソンのロイヤルホテル、デンマーク銀行、多くの町役場、および他の建築物がある。 彼は多くの非常にオリジナルの椅子と他の家具を設計した。 また、国際的な賞も授与されている。

彼の家具デザインの多くがモダン様式の手本になっている。1952年からのアントチェア、スワンチェアとともにラディソンホテルで設計されたエッグチェアなどである。 しかし、彼の最も知られた作品は1955年のセブンチェアであり、500万本以上を販売している。 セブンチェアは、1フ肖像に使用されている。製造は発表当時から現在までフリッツ・ハンセン社が手がけている。

建築における理想を追求したデザイン、家具までも含めた一貫性と言う点においてミース・ファン・デル・ローエに影響を受けたと語っている。

経歴
1902年デンマーク、コペンハーゲンの貿易商の家に生まれた。当初は画家を目指していたが父親の反対を受け、1921年、その父に反発して家を出た。客船の旅客係として働き始めるが船酔いを克服できず、すぐに辞めている。その後、建築家のフレミング・ラッセンに絵の才能をいかせる建築の道を勧められ、1924年にデンマーク王立芸術アカデミーに入学。在学中には1925年のパリ万博・デンマーク・パヴィリオンの設計に参加している。1927年に同校を卒業した後、パウル・ホルセーの事務所に入所。その頃、同じ学校のマリー・イストラップ・ホルムと結婚。同時期、マリーの紹介でポール・ヘニングセンと知己を得ている。
ベラヴィスタ集合住宅
ベラヴィスタ集合住宅

1929年、フレミング・ラッセンと共にコンぺに向けてモダニズムの形式をとった未来の家を発表。モダニズムの旗手の一人として一躍注目を集める。これにより、その名はデンマーク国内において瞬く間に有名になり、住宅設計の依頼が増え始めた。同年、事務所を設立。1930年代、コペンハーゲンの北に位置するクランペンボーの海岸沿いに、レストランや劇場の隣接するリゾート型複合住宅、『ベラヴィスタ集合住宅』をはじめとする大規模リゾート計画を手がけた。またヨーロッパ各国を回り多くの古典建築に触れている。

1940年デンマークがナチス・ドイツによって占領されると、ユダヤ人であったヤコブセンは迫害を恐れポール・ヘニングセンと共に当時中立国であったスウェーデンに亡命した。亡命中は建築設計は行われず(事務所名義ではスタッフのみにより設計が行われている)、二人目の妻ヨハナとテキスタイル・デザインを手がけた。
ラディソンのSAS(ロイヤルホテル)
ラディソンのSAS(ロイヤルホテル)

v工したデンマーク国内初の高層ビルであるラディソンのSAS(ロイヤルホテル)では建物の設計からインテリアデザイン、照明やドアノブ、食器類などの細部までを一貫して手がけた。1964年のオックスフォード大学セント・キャサリン・カレッジでは加えてランドスケープデザインも手がけた。1971年に着工したデンマーク国立銀行はヤコブセン最初の国家レベルでの仕事であり、遺作でもある。同年その竣工を見ることなく逝去した。

作品
テキサコのGS
テキサコのGS
ステリングビル
ステリングビル
オーフス市庁舎
オーフス市庁舎
HEWヘッドオフィス
HEWヘッドオフィス
デンマーク国立銀行
デンマーク国立銀行

建築
年 名称   所在地
1927年  シーグルド・ワンデル邸
1928年  ショップ邸
1929年  自邸
1930年  ローテンボー邸
1932年  ベルビュー海水浴場
1933年  ポール・ムンク邸
1934年  ベラヴィスタ集合住宅 Bellavista
マットソン乗馬学校
1937年  テキサコのガソリンスタンド Texaco tank
ベルビューシアターとレストラン Bellevue Teatret
ステリングビル Stellings Hus コペンハーゲン
1938年  ヤコブセン夏の家
1942年  オーフス市庁舎 Århus Rådhus オーフス
スラレド市庁舎
1943年  スモークハウス Fiskerøgeri シェランズ・オッデ
1946年  集合住宅
1950年  スーホルム集合住宅Ⅰ Søholm l
ホービュー小学校
1951年  トローレ邸
1952年  スーホルム集合住宅II Søholm II
1954年  シモニュー邸
1955年  ヤスパーセン・ビル
1956年  ルードブレ市庁舎
ラウンドハウス Det Runde Hus
1957年  シスビュー邸
ムンゲゴー小学校 ロドオヴァ
1959年  グロストロップ市庁舎
1960年  ラディソンSASロイヤルホテル SAS Royal Hotel コペンハーゲン
1964年  オックスフォード大学セント・キャサリン・カレッジ St Catherine's College イギリス
ニュエア小学校
へレンハウゼン公園のレストラン展望台案「ヘラ・ヴィスタ」
1965年  ヘレンハウゼン公園休憩所
1969年  HEWヘッドオフィス
ノヴォ社製薬工場
ルードブレ中央図書館
1970年  実験住宅クーブ・フレックス
1971年  デンマーク国立銀行 Danmarks Nationalbankコペンハーゲン

家具
アント・チェア
1952年

セブン・チェア
1955年

AJ 3102 tongue.jpg
タン・チェア
1955年

AJ 3113.jpg
3113チェア
1955年
* オックスフォードシリーズの椅子
* AJランプ
* ステルトン社のシリンダ・ライン
* ボラ・シリーズ水栓
* AJカトラリー

ル・コルビジェの一番有名な椅子、シェーズロング / LC4 Chaise Longue



▲こちらは本革(牛毛皮)柄は黒・白・茶混合バージョン!

アイテム名 LC4 シェーズロング
デザイナー ル・コルビジェ
サイズ W530×D1600×H730
素材 フレーム:スティールパイプ(クロームメッキ)
ベースクッション:モールドポリウレタンフォーム
背・座・アームクッション:革

Designer / デザイナー
ル・コルビジェ Le・Corbusier
1887-1965年 スイス生まれ。
本名 シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。今日のモダン・クラシックとして生産されているル・コルビジェの家具はその殆どが1928年にデザインされたものです。「スリングチェア」「グランコンフォート」「回転チェア」などで確固たる地位を築いた彼は絵画や彫刻、都市計画に至るまで多彩な分野で才能を発揮しました。ロンシャン礼拝堂、ラ・トゥーレットの修道院など打ち放しのコンクリートによる分厚く重たい造黷フ建築物です。
■解説1
コルビュジエ/コルビジェの一番有名な椅子、シェーズロング。
この「傾きが連続的に変わるという寝椅子」は、
コルビュジェの独創性を伝えています。
支持体である金属パイプフレームが描くゆったりした曲線の優雅さと、
座と背がひとつながりになって身体の線にあわせて
細かく曲げられた上面の人工工学的なアプローチ。
この2つの対象的な「線」の結合でコルビュジェは
伝統的なロッキングチェアに変わる
新しい安楽椅子を発想したものです。

■解説2
ル・コルビジェはデザインについてシャルロット・ペリアンCharlotte Perriandという良き協力者を持っていました。
このソファは二人の共同作品として良く知られている1927年の「長椅子」シェーズロングです。この名は別名「カウ・ボーイ・チェア Cow・boychair」と呼ばれています。
「傾きが連続的に変わるという寝椅子」は、コルビュジェの独創性を伝えています。
支持体であるステンレススチールフレームが描くゆったりした曲線の優雅さと、座と背がひとつながりになって身体の線にあわせて細かく曲げられた上面の人工工学的なアプローチ。
この2つの対象的な「線」の結合でコルビュジェは伝統的なロッキングチェアに変わる新しい安楽椅子を発想したものです。
寝椅子のジャンルに属するもので、背と座の連続したフォルムをその下の大きな曲線で結んでおり、この椅子は本体部分がベース部分の上に置かれた形となっていて、曲線部分がベースの上を自由に動くために座る姿勢が変化するように構成されています。
ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸でも使われた彼の最高傑作とも言えるでしょう。



下記出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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Gドゥアール・ジャンヌレ(Charles-Edouard Jeanneret)。フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもある)。

経歴
スイスのラ・ショー・ド・フォンに時計職人の父エデゥアールとピアノ教師の母マリーの次男として生まれた。時計職人を養成する地元の装飾美術学校に学んだ彼は、大学教育を受けていない。1908年にパリへ行き、鉄筋コンクリート造建築の先駆者であるオーギュスト・ペレの事務所に、1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に籍を置き、実地で建築を学んだ。

1911年から半年かけてベルリンから東欧、トルコ、ギリシャ、イタリアを巡る東方への旅へ出た。ラ・ショー・ド・フォンの美術学校で教鞭を執った後、1914年に鉄筋コンクリートによる住宅建設方法であるドミノシステムを発表。1917年にパリへ戻り、1920年にダダの詩人のポール・デルメ、ピュリスムの画家のアメデ・オザンファンと共に雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」(L'esprit Nouveau)を創刊、この頃からル・コルビュジエというペンネームを用いた。

1922年に従兄弟のピエール・ジャンヌレとともに事務所を構えた。1925年のパリ万国博覧会(いわゆるアールデコ博)では装飾のないモダニズム建築で「エスプリ・ヌーヴォー館」を設計、アール・デコ装飾の展示館が並ぶなか異彩を放った。また同年、パリ市街を超高層ビルで建て替えようという都市改造案を発表した。低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとするもので、もちゥれたドイツ工作連盟主催の住宅展に参加。

1928年以降に開催されたCIAM(Congrès International d'Architecture Moderne、シアム、近代建築国際会議)では、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエらとともに参加し、中心メンバーとして活躍した。CIAMは国際的な近代建築運動の拠点になった。1931年竣工のサヴォア邸はル・コルビュジエの主張する近代建築の五原則を典型的に示し、代表作として知られる。またル・コルビュジエの、「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という言葉はよく引用される。

第二次世界大戦後、ドミノシステムに基づく集合住宅マルセイユのユニテ・ダビタシオン(L'unitéス「輝く都市」の実践であった。また1951年からはインドのチャンディーガルの建築顧問として都市計画に関わった。

後期の代表作ロンシャンの教会堂(1955年竣工)はカニの甲羅を形どったとされる独特な形態で、鉄筋コンクリートで可能になった自由な造形を示している。ここでは従来主張していた機能性・合理性とは異なった表現に達した。

1965年南フランスのカプ・マルタンで水泳中に死去。

評価
シェーズ・ロング(LC4)シャルロット・ペリアン、ジャンヌレとの共作
シェーズ・ロング(LC4)
シャルロット・ペリアン、ジャンヌレとの共作

画家から出発し、建築家として活動をはじめた後も画家としての制作活動を続けていた。

歴史上の功績は、鉄筋コンクリートを利用し、装飾のない平滑な壁面処理、伝統から切り離された合理性をモットーとしたモダニズム建築の提唱者ということになる。彼の思想は世界中に浸透したが、特に1920年代の近代主義建築の成立において、造形上に果たした功績が大きい。彼の造形手法は一つの規範となり、世界に広がって1960年代に一つのピークを極めた(その反動から1980年代には装飾過多、伝統回帰的なポストモダン建築も主張されている)。

西洋では石積みなどが伝統的だったが、ル・コルビュジエはスラブ、柱、階段のみが建築の主要要素だとするドミノシステムを考案した。そのハ)」(近代建築の五原則)を体現している。クック邸が5つの要点を体現した最初の作品であり、サヴォア邸でより完成度の高い実例を示した。

都市計画の分野でもパリ改造計画案を発表したほか、CIAM 第4回会議でル・コルビュジエらが提案したアテネ憲章(1933年)は、公開空地など、以後の都市計画理論に多大な影響を与えた。後にはチャンディーガルなどで実践している。終始モダニズムの論客として、新しいビジョンを示す論陣を張ってきた彼は、実作においては自由な芸術家としての立場を貫き、必ずしも常に論理性を重視しているとはいえない。しかし、作品の独創性や新規性により、そうした矛盾を問題視させない能力があったといえる。その点は大いに誤解されたままであるが、ある意味で本人が意図した通りなのである。晩年のロンシャンの礼拝堂(ノートルダム・デュ・オー礼拝堂)は造形を特に強調し、それまで主張していたモダニズム建築からかけ離れた作品として注目される。

彼の建築模型や図面、家具は、20点以上がニューヨーク近代美術館に収蔵されている。単純な構成で快適さを求めたル・コルビュジエの家具は、GRAND CONFORT(大いなる快適)と呼ばれLC3、LC4(椅子)は有名である。

1997年4月から発行されている10スイス・フラン札には彼の肖像と作品が描かれている。

建築作品
高等裁判所、チャンディーガル(1955年)
高等裁判所、チャンディーガル(1955年)

* 1923年 ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸
* 1924年 エスプリ・ヌーヴォー館
* 1925年 小さな家
* 1925年 ヴォワザン計画(計画案)
* 1926年 クック邸
* 1927年 ヴァイセンホーフジードルンクの住宅
* 1929年 サヴォア邸
* 1930年 スイス学生会館
* 1930年 ソヴィエトパレス(計画案)
* 1947年 国際連合本部ビル(計画案)
* 1952年 マルセイユのユニテ・ダビタシオン
* 1952-1959年 チャンディーガル都市計画
* 1955年 ロンシャンの礼拝堂
* 1959年 東京国立西洋美術館(基本設計)

フランスからの松方コレクション返還に際して建設された。ル・コルビュジエは設計のため一度来日し、基本設計をまとめた。実施設計は弟子の前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が担当した。
* 1960年 ラ・トゥーレット修道院
* 1961年 カーペンター視覚芸術センター
* 1963年 ル・コルビュジエ・センター
* 2006年 フィルミニの教会(没後に着工し、工事が中断したが、2006年に完成)

建築
ヴァイセンホーフ・ジードルンクの住宅、シュツットガルト(1927年)
フィルミニのユニテ・ダビタシオン(1960年)
カーペンター視覚美術センター、ケンブリッジ(1963年)
ル・コルビュジエ・センター、チューリヒ(1963年)

著作等
* 建築へ(建築をめざして)1923年
* 今日の装飾芸術 1925年
* 住宅と宮殿 1928年
* 輝く都市(邦訳:鹿島出版会SD選書)1935年
* 新しき芸術
* 伽藍が白かつたとき(邦訳:岩波書店)1937年
* モデュロール1 1948年
* モデュロール2 1955年


チャールズ&レイ・イームズデザイン  クラシックソファ






チャールズイームズを簡単にご紹介します。

チャールズ・オーモンド・イームズ Jr(Charles Ormond Eames, Jr 1907年6月11日 - 1978年8月21日)はアメリカ合衆国のデザイナー、建築家、映像作家である。妻のレイ・イームズと共に合板やプラスチック、金属といった素材を用い て、20世紀における工業製品のデザインに大きな影響を与える作品を残した。

イームズとは、「合板ラウンジチェア(LCW)」をはじめとする独創的な椅子や家具をデザインした、チャールズ・イームズとレイ・イームズ夫妻のこ と。機能と美しいフォルムを備えたデザインは、日常生活に愉しさを与えてくれる。ハーマン・ミラー社とも深く関わり合う一方で、映画監督、写真家としても 活躍した。


モダンデザインのパイオニアとして活躍したチャールズ&レイ イームズ。このソファはチャールズが亡くなったあと、1984年にデザインされたチャールズ&レイ イームズの最後の家具として発表されました。現代感覚を先取りしたデザインが特徴的なソファは、2次元曲面の成型合板と革張りのクッションの融合から生み 出される温かく包まれるような座り心地。贅沢をつくした究極のラグジュアリー感に浸れます。
モダンデザインのパイオニアであり多くのデザイナーに多大な影響を与えたチャールズ&レイ・イームズが人生の最後に、この世に残した作品“ソファ”。

座り心地はもちろん、現代感覚を先取りしたデザインが 特徴的です。ミッド・センチュリー・モダンの飽きのこない佇まいは現代に生きる私たちをも魅了するデザインと言えますよね。今回の写真ではミニマルな 「和」のスタイリングを提案しましたが、エグゼクティブでソリッドなお部屋でもミッドセンチュリーな雰囲気でもピッタリマッチする究極のソファと呼べま す。Herman Miller社製のものは高額過ぎてあきらめていた方には是非オススメです!!


チャールズイームズの作品

■建築
1938年 マイヤー邸
1949年 イームズ邸(ケース・スタディ・ハウスNo.8)

■家具
1945年 プライウッド・チェア
1948年 ラ・シェーズ
1950年 プラスティック・チェア
1951年 ワイヤーメッシュ・チェア
1956年 ラウンジチェア&オットマン
1958年 アルミナム・グループ

■映像
1953年 コミュニケーション入門
1957年 おもちゃの汽車のトッカータ
1972年 SX-70
1977年 パワーズ・オブ・テン


イス、椅子と言えば、チャールズイームズ

1、DCW/LCW
DCMはダイニングチェアメタルレッグの略です。チャールズ・イームズのプライウッドの代表的なロングセラーの椅子の1つ。背の部分のゴム製のショックマウントは、背にもたれた時に柔らかく支えるための工夫で、ラウンジチェア他、チャールズ・イームズのプライウッドの椅子にはこのショックマウントが同様に取り付けられています。LCWはリビングチェアメタルレッグの略で、DCWよりも、椅子の座面が低く、横幅が広くなっています。そのため深くゆったりと腰掛けることができます.やはり椅子の背もたれと、支えの間にはショックマウントが挟み込まれています。

2、サイドシェルチェア
チャールズ・イームズの椅子の中で、最も有名で、最も普及しているシリーズ。椅子の座と背は、FRPによるシェル構造によって一体化している。軽くて丈夫な椅子です。足(base)の形状の違いによって、いろいろなタイプがあります。また、椅子の座・背面には、FRPのままのものと生地やレザーで覆ったがあります。

3、ワイヤー チェア
サイドシェルチェアの椅子の形状をワイヤー(針金)で形作った椅子

4、アームシェル チェア
サイドシェルに肘掛けをつけたような形状をしている椅子。FRPシェル一体構造。布やレザーを巻いたタイプのものが多い。足(base)のタイプもいろいろあります。

5、ラウンジ チェア
チャールズ・イームズによって、1956年にデザインされた椅子。アメリカミッドセンチュリーモダンを代表する椅子の1つです。

6、アルミナムグループチェア
チャールズ・イームズが1958年に発表したオフィス作業向きの椅子。背もたれの低い椅子と、高い椅子がある。


 

とりこになった中国家具

私をとりこにした中国家具。
中国家具とは? 分かりやすくまとめてみました。

※ここで取り扱う中国家具は基本的に中国の伝統的なデザインを施された物を言います。



アンティーク
主に明朝から清朝時代、中華民国時代に作られた物を言います。
但し、近代中国において内戦や戦争時に破損したり、外国に持ち出されたりしました。更に文化大革命の時に、骨董品が破棄されるようになりました。原型をとどめ、高級材を使用した厳密な意味での純粋なアンティークは非常に少なく、現在は中国国内からの輸出も禁止されております。これらの物は高さ40cmほどの腰掛椅子で40万元(約630万円)する物もあります。

一般的に中国アンティーク家具といわれるものは、保管状態のよい物を使えるように熟練した職人が修理した物を言います。保管状態の良い家具は年々減少してきており、またアンティーク品の修理技法に精通した職人も少なくなってきております。
中国家具を扱っているお店で、商品表記にての「産地」とは保管状態の良い家具を調達した場所です。全体的にまばらなのはひとつの地域での調達が非常に難しく、いろいろな場所を探して、信頼できるところから調達してきているからです。アンティーク品の修理技法に精通した職人探しも困難を極めます。


古木復元
築200年~300年の旧家を解体した際の柱や梁など丈夫な木を使用して作った物です。
 その特徴は、長年耐え続け、「材料」としての木として慣れているため、丈夫である事や独特の木目をです。日本でも古木ブームですが、その悠久に思いをはせるだけではなく、機能的、鑑賞としても贅沢なものであることの証明だと思います。 
 一般的には楡が多いですが、それらの旧家解体は常に行われるわけではなく、柱や梁を入手したとしても、傷んでいる部分を取り除いて、質の高い部分だけを使用するので、一般の楡の木材より数倍の値段で取引されています。当社のリスト内の「年代」に「現代」とかかれた物はほとんど古木を使用しております。


リプロダクト
素材(材料)は現在の物を使い、中国風にデザインされた物です。
 よく「中国風家具」とか「アンティーク調」と書いてある家具を見かけますが、ほとんどはこの類です。無垢の材料どころか合板(ベニヤ)で作成してある物が高値で売られている物もあります。
 但し、リプロダクト品といっても高級な物もあります。紅木といわれる中国では高級といわれるカテゴリーの木材を使用し、乾燥から、作成まで、熟練職人が何ヶ月もかけて作り上げた物もございます。
 最近では、中国の伝統的なデザインを現代的にアレンジした紅木家具(高級木材家具、唐木家具とも言う)がヨーロッパや中国の若い高所得者に人気があります。


中国家具の素材
当社の取り扱いっている家具は全て無垢の材料を使用しております。商品説明に「材質」を明記しておりますが、聞きなれない物もあるかと思います。
中国には紅木といわれる木材の最高級品のカテゴリーがあります。紅木と呼ばれるのは主に以下の木材です。

材質名
特徴

紫檀

最高級品。硬く、比重が高い。貴重性がある。若干赤みがかった色と、落ち着いた木目が特徴。大径木と小径木があるが、小径木はほぼ手に入らないほど、珍重されている。

黄花梨

日本ではあまり見られないが、中国では古来より家具に使われる木材としては最高級品とされていた。物によっては、紫檀よりも高級なものもある。耐久性に優れている。

黒檀
日本では有名な高級木材。比重が高く、水に沈むほどである。黒味がかった色が、高級感と落ち着きを感じさせる。非常に硬いため、切削難度が高く、彫刻を施すにはよほどの熟練が必要。

酸枝木
中国での代表的な高級材のひとつ。日本の「タガヤサン(鉄刀木)」に似ている。独特の粗い木目が特徴。

鶏翅木
紅木(中国高級材)の代表的な木材。木目が鳥の羽根のように見える事から、名づけられた。産出量が年々減少しており、貴重品としての価値も上がってきている。

花梨
日本での高級木材として使われる代表的なひとつ。木目が明瞭で、重量感があり、高級さを感じさせる。耐久性も高い。

※高級木材は、産地や樹齢、詳細な科目によって品質が異なります

一般に日本の中国家具屋で扱われているアンティーク、古木復元物は楡を使ったものを多めになっています。楡の古木は紅木に近い風合いがあり、しっかりした生産工程(特に乾燥など)をすれば耐久力を持ちます。


「欅」に木目が似ている。上記の紅木は重量があるが、比較的軽いので、取り扱い易い。

古木楡
築300~400年の民家等で使われていた柱や梁を使用。一般的な楡と違うのは、長年、木材として「慣れ」てきたものなので、耐久性、硬さがあり、木目も美しい。市場価値としては一般の楡材と比べると7~10倍の価値がある。



中国アンティーク家具の年代
アンティーク品のすばらしさは、そのもの自体がその時代の歴史を超えて現代に伝わる物であり、それに触れることで悠久の時を感じられることだと思います。また、その時代によって、デザインも変化し続けております。その家具の時代から数百年前の歴史の息吹や文化が伝わってくることもアンティークの醍醐味ではないでしょうか。

以上、中国家具入門知識というべきでしょうか、
機会がありましたら、続きをお話したいと思います。

婆羅門オフィシャルブログ開設




婆羅門(バラモン) とは、
インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称であります。
サンスクリット原語のブラーフマナ (braahmaNa ब्राह्मण)が漢字に音写された婆羅門を片仮名書きしたものであり、正確なサンスクリット語形ではない。
ブラーフマナとは古代インド哲学で宇宙の根本原理を指すブラフマンから派生した形容詞転じて名詞。つまり「ブラフマンに属する(階級)」の意味である。ブラフミンともいう。

仏教での用例
仏教ではバラモン階級出身の僧侶をバラモンと呼び、バラモン階級以外からの出家者を沙門と呼んでいる。但し、この用法は、バラモン教側が先に非バラモン階級出身者を沙門と呼んで差別した事による。
日本では、渡来したインド人の仏教僧全てを、出身のカーストに関わらず婆羅門と呼んでいる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』バラモン



物心ついた時には、他の物には目もくれず アジア家具,中国アンティーク,中国雑貨,中国骨董,李朝家具,景徳鎮,陶器,磁器,中国茶にはまっておりました大好きでした。三度の飯よりも。
そういった過程の中でこの婆羅門という言葉に出会い、文字、響き、意味に引かれいつしか自身の事を婆羅門 と言っていました。
私の地元:北海道では、高校まで婆羅門 というあだ名で呼ばれていたものです。

東京へ出て、出版社、広告代理店を経て現在はジャーナリストとして落ち着きましたが、この数十年間は寝る間も無く働いていました。ようやく昨年から時間がとれるようになってきましたので趣味である中国家具をはじめとするインテリアを気の向くまま紹介したいとおもいます。
学生時代の婆羅門 な自分へ戻って。。。



注)問い合わせが多かったので・・・

友人を始め、私のあだ名:婆羅門(はらもん)の事でいろいろと聞かれます。

私は宗教とは一切関係ありません!(笑)
昔少年ジャンプであったマンガ(神戸の少年殺害事件時にとりあげられた)とも関係ありません!

下記婆羅門教の内容をご紹介しておきます。
何度も言いますが、私は宗教の回し者ではございません。単に家具好きな北海道から出てきた田舎モノです。(笑)

婆羅門(バラモン)教

婆羅門教、ブラフマン教、Brahmanism
古代インドの民族宗教を指す。ヴェーダ などの聖典を持つ。

【概要】
古代のヴェーダ の宗教とほぼ同一の意味で、
古代ヒンドゥー教と理解してもよい。
バラモン教にインドの各種の民族宗教、民間信仰が加えられて、
徐々に様々な人の手によって再構成されたのが現在のヒンドゥー教である。

婆羅門(バラモン) とは司祭階級のこと。
正しくはブラーフマナ というが、中国での音訳「婆羅門」から
日本ではバラモンということが多い。
婆羅門 は祭祀を通じて神々と関わる特別な権限を持ち、
宇宙の根本原理ブラフマン に近い存在とされ敬われる。

バラモン教 (Brahmanism) という名前は後になってヨーロッパ人がつけた名前で、
仏教以降に再編成されて出来たヒンドゥー教と区別するためにつけられた。
なお、ヒンドゥー教という名前もヨーロッパ人によってつけられた名前であり、
特にヒンドゥー教全体をまとめて呼ぶ名前もなかった。

最高神は一定していない。儀式ごとにその崇拝の対象となる神を最高神の位置に置く。

階級制度である四姓制を持つ。
司祭階級婆羅門(バラモン) が最上位で、クシャトリヤ (戦士・王族階級)、
ヴァイシャ (庶民階級)、シュードラ (奴隷階級)によりなる。
また、これらのカースト に収まらない人々はそれ以下の階級パンチャマ(不可触賤民)とされた。カースト の移動は不可能で、異なるカースト 間の結婚はできない。

【歴史】
紀元前13世紀頃、アーリア人 がインドに侵入し、
先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程でバラモン教が形作られたとされる。
また同じ紀元前13世紀にはメソポタミアのヒッタイト帝国が突然滅亡している。
紀元前10世紀頃、アーリア人 とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まる。
紀元前5世紀頃に、4大ヴェーダ が現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、
婆羅門 の特別性がはっきりと示される。
しかしそれに反発して、多くの新しい宗教や思想が生まれることになる。
現在も残っている仏教やジャイナ教もこの時期に成立した。
新思想が生まれてきた理由として、
経済力が発展し婆羅門 以外の階級が豊かになってきた事などが考えられる。
カースト、特に婆羅門 の特殊性を否定したこれらの教えは、
特に婆羅門(バラモン) の支配をよく思っていなかったクシャトリヤ に支持されていく。

1世紀前後、地域の民族宗教、民間信仰を取り込んで行く形で
シヴァ神やヴィシュヌ神の地位が高まっていく。
1世紀頃にはバラモン教の勢力は失われていった。
4世紀になり他のインドの民族宗教などを取り込み再構成され、
ヒンドゥー教へと発展・継承された。
しかし、必ずしもヒンドゥー教はバラモン教に等しいわけではない。
たとえばバラモン教に於いては、中心となる神は
インドラヴァルナアグニ などであったが、
ヒンドゥー教においては、バラモン教では脇役的な役割しかしていなかった
ヴィシュヌやシヴァが重要な神となった。

ヒンドゥー教でもヴェーダ を聖典としているが、
叙事詩(ギータ)マハーバーラタ、ラーマーヤナ、プラーナ 文献などの神話が重要となっている。

上記memoman@ウィキ より