こんにちは。
ノマド生活中の私です。
昨日まで数日間、シンガポールに滞在していました。
その最終日の夜、パートナーが言いました。
「元奥さんが、みんなで夕飯を食べたいって言ってるんだけど、いい
?」
もちろん、私は「いいよ」と答えて、
みんなで一緒に夕食を囲むことになりました。
「みんな」とは?
この日の食卓を囲んだのは、次の6人。
-
私のパートナー(スイス人)
-
元奥さん(スイス人)
-
元奥さんの現在のパートナー(シンガポール人)
-
パートナーと元奥さんの子ども2人(スイス人)
-
そして、私(日本人)
6人「家族」でのディナーでした![]()
実は、元奥さんと一緒にご飯を食べるのは今回が初めてではありません。
けれど日本人の友達に話すと、毎回驚かれます。
「え?元奥さんと一緒に?気まずくないの?」と。
でも、私はこの元夫婦の在り方をとても尊敬しています。
「リスペクトを忘れない離婚」という選択
夫婦としてはうまくいかなくなり、つらい思いの末に離婚するのは、どの文化でも同じでしょう。
けれど、このスイス人夫婦は、離婚の際に最後までお互いを尊重し合い、財産もきれいに半分に分け、今でも用事があれば気軽に電話をし合える「友人のような関係」を続けています。
パートナーが元奥さんから仕事の相談を受けることもあるくらいです。
そんな関係性を見ていても、私はまったく嫉妬を感じません。
もう夫婦としては終わっているということはお互いがわかっていて、今はただ、子どもたちの親同士として協力し合っているだけだからです。
むしろ私は、そんな元夫婦の姿を見て「私もこうなりたい」と素直に思います。
両親が仲良くいることが、子どもたちにとっての幸せ
私にも子どもがいるからこそ、よくわかります。
自分の子どもだったら、両親が離婚していても、仲良くしている姿を見せたい。
一緒にご飯を食べられる関係性の方が、子どもにとってはきっと安心できるはず。
日本での「当たり前」に疑問
日本では、離婚後に子どもがお父さんに会えなくなってしまう話をよく耳にします。
実際、私の友人にもそういう経験をした人が何人かいます。
私も、それが普通だと思って育ってきました。
でも、日本を飛び出してみて気づいたんです。
「私の“当たり前”は、世界の“当たり前”ではないんだ」
人間愛でつながる関係に、希望を感じます
離婚を経ても、人間愛で関係を続けていける。
そんな器の大きな元夫婦の姿に、私は静かな感動と希望をもらっています。
私と別居した夫とはまだそこまでの関係は築けてないですし、道は遠い。。
でも、自分の中の「常識」に問いを持ち続けて、私もいつか人間愛で元夫と接していける関係になれればなぁ。。と希望は忘れず![]()