今日は世界史論述ヨーロッパ編の添削が全て終わった。

本当は昨日終わらせたかったが、愚かなことに終わった入試の解答速報を検索したり、内容を見返してミスがないか探したりしてしまい時間を浪費してしまった。昨年中央大を受けたときも同じことをしてしまったことを思い出す。答えが気になるのが人情ではあるが、結局公式の解答もないし何点とれれば合格かもわからないのでこの自己採点は何の得にもならない。内容が次の入試に繋がることが稀にある程度だろう。

ダメとわかっていてもついアクセスしてしまうだろうから、BlockSite というアプリに受験BBSや東進の解答速報などをまとめて登録してアクセスできないようにした。余談だがアクセス禁止にするサイトの候補にPornhubがあってウケた。2019年6月の段階では30億回以上/月を誇るInstagramよりもアクセス数が多く、世界で8位だったらしい笑。


添削はとてもよい復習になっている。


ドイツで戦後ニュルンベルクで裁判が開かれたのにミュンヘンとしてしまったところがあった。ズデーテン割譲要求が認められたミュンヘン会議は、ナチスの反ソ連の態度に期待した英仏の宥和の例としてよく出る。ドイツやフランスは世界史で必ず目にする地名が多いのでGoogleマップでお気に入り登録して定期的に確認している。ミュンヘンの位置がどこかで出題されたらラッキー。

ナンセンス大賞はボリシェヴィキの一党独裁体制が確立されるまでの経過を説明する問題かな。

指定語句
レーニン  ソヴィエト
十月革命  ロマノフ朝  ペトログラード

自分の解答
日露戦争中に、レーニンは十月革命をおこしてロマノフ朝最後のニコライ2世を打倒し、ソヴィエト政権を樹立。第一次大戦時はドイツ語を含むペテルブルクからペトログラードへと首都を改名した。

ツッコミ
・十月革命は1917年なので「日露戦争中」は誤り!首都ペテルブルクでの血の日曜日事件をきっかけにソヴィエトが樹立された第一次ロシア革命と勘違いしている。これをうけたニコライ2世が十月宣言を発して自由主義者ウィッテを首相にするなどしたが、革命がおさまると専制を再び強化した。
・レーニンは1917年に十月革命をおこしたが、このとき打倒したのは臨時政府。ロマノフ朝が打倒されたのはその8ヶ月前の二月革命である。タンネンベルクの戦いでの敗北や第一次大戦長期化によりロマノフ朝に不満を持った民衆が首都ペトログラードで蜂起し臨時政府が成立した。一方労働者と兵士はソヴィエトを結成したため、臨時政府とソヴィエトの二重権力状態が問題となった。
・十月革命では、レーニン率いるボリシェヴィキがケレンスキー臨時政府を打倒した。レーニンは4月に「すべての権力をソヴィエトに」と主張していたが、全ロシア=ソヴィエト会議で多数派になることができず、7月に起こしたデモが臨時政府に弾圧されてフィンランドに一旦亡命した。ボリシェヴィキの発言権は帝政復活を試みるコルニーロフの反乱を鎮圧したことで復活し、10月に臨時政府打倒に至った。
・首都の名前はボリシェヴィキと関係ないので全く加点にならない笑。
・臨時政府打倒後の1918年に憲法制定議会が開かれた。ここでボリシェヴィキは多数をとれなかったため、レーニンは憲法制定議会を解散し、ボリシェヴィキ以外を追放して一党独裁を確立した。

・以上のことから、加点要素はほぼ0であった。そのぶん良いアタマプラスになった!


このロシア革命のところ正誤問題いくらでもつくれそうなので今日の正誤問題はここから。

第二次ロシア革命について,正しいものをすべて選べ。ないこともある。
①日露戦争停戦のきっかけとなった。
②ニコライ2世が,十月宣言を発した。
③ペトログラードで,血の日曜日事件が起きた。
④自由主義者ウィッテが,首相に任命された。
⑤十月革命で,ロマノフ朝が打倒された。
⑥十月革命で,臨時政府が樹立された。
⑦二月革命で,「平和についての布告」がなされた。
⑧二月革命で,臨時政府が打倒された。
⑨ケレンスキーが,憲法制定議会を召集した。
⑩レーニンが,臨時政府に入閣した。


知るのが楽しくて寝るのが遅くなってしまった。生活習慣を直しつつ明日も頑張ろう!