hideちゃん in Yellow2005年9月21日、1998年に亡くなったX JAPANhideを偲んで、2000年に建設されたhide MUSEUM(神奈川県横須賀市)」が、4日後の25日に閉館されることに合わせてのイベントが同所で行われた・・・とスポーツニッポンに掲載された。
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それに先立つこと3日前、中秋の名月の日に、「hide MUSEUM」 に行ってきた。

横須賀は私が多感な時期を過ごした場所でもあった。横須賀に住んでいる友人に「hide MUSEUMに行くのは、何と言うか、横須賀人としての義務じゃない? 小泉首相だってオープニングセレモニーのテープカットに出席したんだよ(当時はまだ首相じゃない)」とか無理矢理なことを言って連れ出した。

京急線横須賀中央駅から海沿いに伸びる道を歩き、「hideもこの道を通ったのかぁ」としみじみとした。この道を歩く辺りから、同じ目的地へ向かう人たちがパラパラといるのに気付いた。 突き当りを右折する。すぐそこに波の音を聞きながら、パイナップルに似た南国に生えていそうな木々の並木道を、まっすぐに歩く。ミサワホームの展示場のすぐ隣にそれと分かる人たちが集まっている小さな門構えのところがそうだ。

もう夕方と言ってもいい時間に訪れたのに、ミュージアムに入場するには30分以上かかると聞かされ、長い行列の後ろについた。正直、入場に並ぶとは思ってなかった。もう一つ、並行する行列はオリジナルグッズを販売する「LEMONed SHOP」への入場待ちだと聞き、これにも驚いた。

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hide MUSEUM外観。hide
X”(のちに”X JAPAN”に改名。理由は海外に同名のバンドがあったから)のギター及びビジュアル担当。奇抜なファッションとメイクを施したバンドを「ビジュアル系」と言うが、それは”X”のファーストアルバムにhideが「VISUAL」と書き記したことが始まりだと言われてる。

当時の私にとって”X”及び”X JAPAN”は非常に近寄りがたいイメージがあった。けれど、初めて紅白歌合戦に出場が決まったとき、その記者会見上で「これによりファンの人たちが少しでも肩身の狭い思いをせずにいられるなら、と思った」と発言したのは、確かhideだったと思う。これで私は”X JAPAN”のhideと言う人を認識した。

また、1997年12月の”X JAPAN”解散後、翌1998年元旦の新聞にデカデカと”hide with Spread Beaver”の全面告知をした。これについてhideは「”X JAPAN”解散のニュースで落ち込んでいるファンの人たちに聞かせたい。落ち込まないでと言いたい」と語っていたのを、ホンの数ヵ月後の追悼番組で見た。彼は、”X JAPAN”活動中から”Zilch”というバンドも組んでいた。”Zilch”世界デビューはhideの没後のことになってしまった。

彼はファンを大切にする姿勢を、常に行動で示していた。
白血病患者であったファンの子の存在を知るや、病院を訪問して元気付け、また自身も骨髄バンクに登録した。病棟で白いマスク姿でお見舞いをする写真が公表されたとき、「おやおや、ファッションリーダーが・・・」と微笑ましかった。彼はマメに手紙を送り、病床のその子を応援し続けたらしい。

また、表参道にあった美容院と雑貨店を併設したショップ「LEMONed」(現在はない)は、自分のファッションを真似るファンのために作られたそうだ。実はhide、美容師の資格も持っていた。

LEMONedってポップでかわいいネーミングだな。イエローハートなんてロリロリでキュートな柄のギターを愛用しているくらいだから、そういうのが趣味だったのかな?」って邪推してたら、そうじゃないことがミュージアムの展示物であるhide直筆のメモで分かった。

僕らはかつてLEMON(”不良品”という意味)だった。でもそれは過去”-ed”のことだ。

なるほど。そういう意味だったのか。
適当な解釈してごめんね、hideちゃん。

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hide MUSEUMライトアップ1998年5月2日。hideの訃報は「自殺」だとセンセーショナルに報道された。私は駅のホームに設置されたモニタで第一報を知り、かなりショックを受けた。後日、朝日新聞社を訪れた際、電車がとても込んでいた。人の波はそのまま築地本願寺に続き、そこで私はhideの葬儀にたまたま居合わせることになった。5月8日の朝日新聞に「礼儀正しいファンの人たちで、混乱もなく、後片付けもキチンとしていた。非常にいい葬儀だった」と掲載された。

やがて彼の人柄が広く認められてきた頃から、hideは「事故」で亡くなったのではないかと言われ始めた。 そして、彼の残したたくさんのものが、hide MUSEUMに納められた。ロックミュージシャン初の記念館だった。

入場して最初のフロア―”1st Room”は、明るく広い。hide愛用のギターを身近に見ることが出来る。”2nd Room”では一転、荒ぶるロック魂という感じで刺々しい小物や衣装が見られる。”3rd Room”ではステージ衣装や直筆の歌詞が展示されてる。また、1998年5月1日までに4回放送された「ニッポン放送のオールナイトニッポンR」の放送を聞くことができる。

父親宛てに送られた「配達指定日:12月24日」のクリスマスプレゼントと思われる小包が、未開封のままに展示されている。
hideにギター製作を依頼された人が、「(1998年の)5月3日にスタジオに来てよ」と守られなかった約束を語っている。
アメコミのキャラクターに憧れたhideの願いを叶えるべく、描かれたキャラクター”ジェット”だが、彼が完成を確認することはなかったと書かれている。
「1998年はツアーやるよっ!」とhideは子どものようにはしゃいた、と関係者がコメントを寄せてる。

これら多くのやりかけの作業が、「これからこれから」とhideが言っていたことを証明している。それがとてもツライ。

ミュージアムの一角から臨む海の向こうには、無人島「猿島」が見えた。彼がよく遊んだ場所らしい。私も、よく出掛けた場所だ。

hide
が遺した曲が、館内でひっきりなしに流れていた。

「♪また春に会いましょう・・・」という歌詞には、涙腺をやられた。


※ 1998年に行われた本人不在という前代見門の全国ツアーを初映像化したDVDが、2005年9月21日に発売された。(下記の2作品↓)

キングレコード
hide with Spread Beaver appear !! "1998 TRIBAL Ja,zoo" (初回限定版)
キングレコード
hide with Spread Beaver appear !! "1998 TRIBAL Ja,zoo" (通常版)
<<管理人コメント>> フィルムGIGも成功させているhideのライブ。本人不在で盛り上がるライブってどんななんだろう・・・。見る前から心臓をギュッとつかまれるような切なさを感じる。でも気になる。

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ちなみにこのミュージアム、隠れた見所は”トイレ”の装飾だそうだ。

まだ訪問されてない方は、あさって(25日)までなので、ゼヒお早めに・・・。

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(2005年9月25日:追記)

共同通信が、hide MUSEUMの閉館のニュースを報じた。

ファン2万人が別れ惜しむ hide記念館が閉館 (yahoo!ニュース)
「ヒデミュージアム」が閉館 神奈川・横須賀 (yahoo!ニュース)

今日の朝日新聞・神奈川県版にも特集記事が掲載された。
「新しいhideの活動をしていく。これは終りでなくて始まり」だとコメントした館長(hideの弟さん)の言葉を嬉しく思った。

うんうん。楽しみにしてますよ!