こんにちは、陽子アクアです。
今日は、ここ数日間に心と身体で感じたことを、少しだけ記録してみようと思います。
🌿医療の現場にいた日々
私は過去に、さまざまな国の医師たちと働いてきました。
南アフリカ出身の医師、エディンバラ大学医学部を出た2人の医師、そしてニュージーランドで出会った医師たち。
出身も、境遇も、文化も異なる彼らと共に、私はクリニックで受付という中間の立場に立ち続けていました。
色々な文化、背景を持つ患者さんの声を聴き、
医師や看護師の伝言を届け、
逆に医師やナースの言葉を患者さんへ届ける。
言葉の橋渡しをしながら、場の空気を読み取り、最悪の事態を回避する役目を、自然と担っていました。
けれど、正直しんどかった。
患者の苦しみ、怒り、緊張、そして医療スタッフの空気。
すべてが肌を通して伝わってきて、自分の神経が擦り切れるような毎日でした。
🕊️そして11年後、再び彼らと再会した
昔一緒に働いていた人々と、最近また再会する機会がありました。
彼らの多くは、今では一等地に住み、容姿も英語も堂々としていて、
まるで“成功者”のような人生を歩んでいるように見えました。
けれど、その再会を通して、私はもう一度、思い知らされたのです。
「スタートラインの違い」という、見えにくくて深い断層を。
世の中には、初めからこの国で暮らすための後ろ盾を持ち、
流暢な英語と、受け入れられやすい外見を持ち、
当たり前のように“この社会の内側”から歩き出せた人たちがいます。
その一方で、
私を含む多くの移民たちは、
言葉の壁、文化の違い、無意識の偏見、経済的なハードル……
いくつもの壁を同時に乗り越えなければならない現実の中にいます。
オークランドの街には
ハイブランドの光がこぼれるウィンドウのすぐそば、
足元にはうずくまる人々の影があった。
高級店の煌めきと、地面に座り込む人たち。
その距離は、たった数メートル。
だけど、響きとしては、あまりにも遠かった。
どちらが正しいという話ではありません。
ただ、そこに確かに存在する「響きの段差」に、
私はいつも耳を澄ませてきました。
💔私にとっての“響きの断層”
私は、昔からお金に恵まれた人生ではなかった。
でも、ふと思うんです。
もし、私にお金があったら——
このニュージーランドという“お金がなければ生きにくい国”で、
もっとスムーズに、もっと自由に暮らせていたかもしれない。
だけど、きっと神様は
**「お金では測れない価値」**を私が見失わないようにと、
この運命を与えてくれたのかもしれないとも思っています。
💤そして、2日間、私は深く眠った
身体の痛みと、心の混乱。
“光と闇のコントラスト”を受け止めきれず、私はただ、眠りました。
食器洗いも、買い物も、洗濯も、娘の水泳の送り迎えも……
すべて、夫がこなしてくれました。
本当に、夫は頼りになる人です。(心から感謝しています。)
🌎動けば動くほど、振り幅も大きくなる
私にとって、ニュージーランドも、日本も、どちらも故郷です。
夫がヨーロピアンなので、ヨーロッパで暮らすこともできます。
でも、どこに身を置くにしても——
動けば動くほど、得るものも、失うものも大きい。
そのたびに、心が大きく揺れます。
この世界の秩序が、目に見えて崩れていく今。
「どこで、どう生きるか」は、
これまで以上に深く、考えさせられる問いになっています。
🪨自分の世界が、“井の中の蛙”だったら——
そう思ったこともあります。
だけど、私はすでにいろんなものを見てしまった。
聞いてしまった。
感じてしまった。
それならば、その「響き」を
“ことば”にして残していくしかないのかもしれません。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
今日もどこかで、誰かの光になれますように。
陽子アクア
