みなさん、こんにちは。
大変お久しぶりです。
お元気ですか?
私は、毎朝早く起きて仕事へ行って、帰ってきて夕飯作って寝るので、
あっという間に時間が過ぎていきます。
そんな慌ただしい中で、実は、私たち家族にとって転機が色々訪れていました。
まず、去年の7月に、3年ぶりに日本へ帰国できたこと。
11月にフルタイムに戻り、夫が主夫、私が一家の主人になったこと。
11月8日にさくらが死んだこと。
11月21日に夫の肩の手術(回復約一年)
そして、もう一つ、今まで公の場で言えなかったのですが、
夫の産みの母親が見つかったのです。
今回は、その件で、ヨーロッパへ行く旅費がお恥ずかしいことにないので、
お友達が、クラウドファンディングのニュージーランド版のようなオンラインの募金の
サイトを設置してくださいました。そして、それを見たというか、夫の背景を知っていた友人らが、
思っても見ない金額を温かいコメントと共に何人もしてくれてそれが、目に留まったのか、
記者の方から取材を受け、3月3日の夜に記事が投稿されました。
よかったら見てください。
夫は、4歳の時に施設から養子に引き取られました。
残念なことに、育ての親は、一応屋根の下で育ててはくれたけど、暴力の毎日でした。
(私が夫に会った時、直感でこの人と思いました。それと同時に、いつも、彼の後ろに、幼い頃の夫が
暗い部屋で膝を抱えて泣いてる映像が見えてて、なんとか癒してあげないとと思っていました。)
でも、夫は、そんな状況にもかかわらず、
一応育ててはくれた恩を忘れず、一緒にはいれないけど、
住むところをあてがっています。。
時々、夫は、どうして、母は、僕を捨てたのかと呟いていました。
私は、自分だったら、産んだのが、若過ぎて、ちゃんとした生活を子供にさせれなくて、
養子として経済的に安定したところの方が子供にとっていいと思ったために、預けたしか考えられないと言っていました。
そして、ある日、育てのお母様と喧嘩をした時、ポロッと初めて、施設の名前を言ったのです。
夫は、今まで自分は彼らの子供じゃないと言われ続けて育ってきたけど、
やっぱり本当だったんだと少しショックを受けていました。
その施設のウェブサイトを見たら、子供が親を探すことは認められていると記載されており、
どんな結果をも受け入れる覚悟で、連絡を取りました。
結果、一年かかりましたが、
父も母も健在でした。
そして、母親だけが、連絡許可というメールが来ました。
それが、去年のクリスマス前のことでした。
そして、電話番号だけあったので、
電話番号にテキストメッセージを送りました。
それから、夫の産みの親の人生を知り、
私たちは、胸が張り裂けました。
私は、新しい職場で時々夫からメッセージで状況を伝えられたので、
泣きそうで仕方ありませんでした。
これは、次回に書きたいと思います。
ちょっと長くなってしまいましたが、
最後まで読んでくださってありがとうございました。
