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管理人オススメの偉人を毎日1人ずつ紹介していきます♪

※尚、紹介するのは近代的な偉人を中心とし主にウィキペディアを参照してます

「空に想いをかけた者たち」の歴史は非常に長く・・・



初めて空を飛んだのは、「ライト兄弟」ではなく勇気あるフランスの「ロジェとダルラント」と、いう2人の人物です。



初めて空に浮いた物体は、「熱気球」であり1782年「モンゴルフイエ兄弟」によって上空1800mmで上げるのが成功したのが始まりです。





(*モンゴルフィエ兄弟)





(*熱気球)


その1年後の、1783年11月21日に初めは死刑囚の乗せて試験的に行われるはずでしたが・・・「人類初の栄光を何人にも与えてはならない」と言い、「ロジェとダルラント」が世界初の有人飛行を成功させました。


当時、人々はこの熱によって暖められただけで浮く気体を「モンゴルフィエの魔法のガス」と、呼びました。
(*この成功を基に1787年、フランスの「ジャック・シャルル」によって「シャルルの法則」が発表)




その成果と想いが、航空の父とされるイギリスの貴族であり科学者でもある「ジョージ・ケイリー」に引き継がれ初の動力有人飛行を夢見る人たちへ継承されてゆきます。



(*ジョージ・ケイリー卿)


そして、「ライト兄弟」に最も影響を与えたのが飛行実験のパイオニアと呼ばれるドイツの「オットー・リリエンタール」です。



(*オットー・リリエンタール)


「オットー・リリエンタール」は、コウノトリの飛翔を研究し、鳥のように羽ばたいて飛ぶことを考えていた。1881年からグライダーを製作して飛行実験を繰り返し、その総数2000回
「ライト兄弟」は、フライヤーの製作、実験にあたって、「オットー・リリエンタール」の飛行データを非常に参考にしてます。


もう一人影響を与えたのが、「ライト兄弟」の師匠的存在の「オクターブ・シャヌート」です。



(*オクターブ・シャヌート)



フランス生まれの土木エンジニアである彼は、色々とアドバイスをする為「ライト兄弟」と交わした手紙の数は約500通を数え親交を深めました。



しかし、「ライト兄弟」は、初飛行を成功させてからは師匠的な存在がいる事を隠して仲違いになってます。初飛行を成功させた「ライト兄弟」が世間から批判を浴び続けたのは、こうした義理人情を欠く性格からとも言われているようです。



そして、「ライト兄弟」の生涯最大のライバルと言えば、「グレン・カーチス」です。




(*グレン・カーチス)





(*カーチス機)




「グレン・カーチス」は、「ライト兄弟」からすれば互いに切磋琢磨し技術を競い合うような好ライバルではなく完全なる天敵です。


1878年ニューヨーク州ハモンズポートに生まれ、高校卒業と同時にコダック社に入社した彼はその後郵便屋、、自転車レーサーと転職し皮肉にも「ライト兄弟」と同じの自転車屋を開業させます。
その自転車屋で自転車にモータを付けてオリジナルのオートバイを製作し、またオートバイで速度記録などを達成して有名になっていきます。


また航空機用(飛行船用)のエンジンを開発し販売していたことから、彼の師匠的存在である電話の発明者でも有名な「アレキサンダー・グラハム・ベル」に誘われ、AEA(飛行実験グループ)に参画、飛行機の実験を始ます。





(*アレキサンダー・グラハム・ベル)



そして1908年7月4日「グレン・カーチス」は、1000メートル以上の飛行に成功し、サイエンティフィック・アメリカン賞を受賞。その後自ら航空機製造会社を設立します。

その功績によりカーチスはパテント(特許)侵害で、ライト兄弟から訴えられますがライト兄弟がパテントを盾に航空界に君臨し、孤立化して行ったのに対し、カーチスはラングレーのエアロドロームを修復して飛行に成功させるなどして、他の飛行研究家とも友好関係を築いていきました。

1919年には飛行艇NC-4が初めて大西洋を横断に成功するなど、カーチス社はアメリカの航空機トップメーカーになり最終的な勝利は「グレン・カーチス」の手に収まっています。




「義理人情」最近はめったに耳にしなくなった言葉ですが、カーチスから学び例え古いと言われようが大切にしなければいけないな。。と僕は思います!