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゛ 監視 ゛
江戸我 美保
2018年の暮れに 車を処分したのだったか
その 春には 私は スペインに 独りで 全ツアー8日間に
参加していた
それから もう 車検料や維持費が掛かるし 車も もう良いかなと 処分する事を ずっと考えていて 実行したのだった
平成3年から ずっと私は その軽自動車を乗り回していて 2台目だったけれど まだ乗れたけれど 先の事を考えると 維持は無理そうだった
たった1万円未満だったかで 新婚から歴代 3台目で 私の運転では 2台目で 安い60万の車は 処分された
それから 私は 昔のような 徒歩と電車に戻った
元々 子らの送迎の為に 運転し始めていたし もう用が無いといえばそうかもで 行きたい所も ほぼ行き尽くしていた
まあ あったら便利ではあるけれど 乗る前が 非常にだるい
乗ったら 降りたく無くなる そのまま座りっぱでいたいぼこ
夫と一緒だと 毎回がストレスだった 車の中がぐちゃぐちゃにされて いつも超苛立ってから 運転する事になるし それで無くても 近所が超うざかった
何にしても 超ストレスだらけだった
最後の運転は 海沿いのアウトレットまで 道を大きく間違えて 最悪だったのも 後には 逆に 別に良い想い出になるかもしれない
何するのもしんどい
徒歩にしてみると 案外とやはり 運動になる事が解かって来た
たった電停に徒歩るだけでも 或いは 電車内で 立っているだけでも 随分と運動量が 違うように思えた
百貨店内の散歩は 歩数も何も 変わらない筈だけれど 明らかに 元気になるような気がしていた
車を運転するようになる前までは 電車は日中は結構空いていて いつも 往復 ほぼ 座れたし 先ず 電車を待つという感覚すら無く 即来ていたのが 世の中は 大きく変化していたらしい
気付いてはいたけれど 電車の連結数が増えただけで 便数が こんなに減っていて しかも いつの間にか いつも満員状態になっていたとは 思いもしなかった
一体 世の中はどうなっているのだろう
人口は確かに 1.5倍くらいは 増えたのかもしれないけれど 訳が解からないくらい とにかく人が多い
それは 新幹線に 婚後20年後に やっとまた独り旅等で 乗り始めた時も 混雑振りにはびっくりして うんざりしたものだった
昔は 新幹線も シーズンオフには空いていたものだった
何なんだろうか
ネットや 私の噂の普及で 旅人も増えたのかもしれない
とにかく 私は 平成3年 1991年 27年振りに 徒歩と電車に戻って
世の中の全てに 驚いていたかもしれない
いつからだったか 余り出掛け無くもなり それは 夫のくび定年が影響していたのは 間違い無いけれど 週2回のお出掛けが 1回となり 段々 どんどん出掛け無くなり 運動もしなくなっていたから せめて ごみ捨ての時だけはと 裏口の ごみ捨て場から 正面玄関まで マンション半周の 散歩をするようになっていた
すると どうも 向かいの わんけーマンションから 若いおすの声が 毎回聞こえて来るようになっていた
いつも 出て行かずに 戻って来るだけの人がいる とか いつも 同じ色の腐った黄の上着を着ているだの 夜暗いのにとか 変な格好をしているとかとか
それで 私はやっと気付いた 狭いわんけーに 学生2人がいつもいる訳が無いし 変だと
彼らは 長年 そこに住み込んでいる たくあんなのかもしれないと
前兆は その10年くらい前から あるにはあった
正確には 私は ネットで 縦と関わり始めた 2010年の翌年からだった
先ずは 横浜に 美術館の追っ掛けを始めたら そこに現地のたくあん2人組の迎撃があったから びっくりしたものだった
その後 同年 同じ頃に うちの部屋のベランダ下の 向こうの方から 2人組の 若いおすの声がしていた これも たくあんだろう
今 あの人 縦と関わってるんだって
この方が 1番最初だったかもしれない
こいつら まだやってるのかと 私は思った
勿論 平成 動乱元年の頃の いぬたちとは 違うだろう あれから何年が経ったろうか
6年辺りから 多分 直近には 尾行等の 何事も無く 静かに過ごせていた気がするけれど その後 私は ゲーム機から ぱそ通やねっと等を始めた1997年の 翌年には 本物のぱそを買って 更に その後 超長年寝込んでしまっていたから #ばかぶち の集ストも ある程度 静まっていた
少なくとも 10年間くらいは 私は 街にも出掛けられないくらい 体力が低下していたから その間は 別の事 脳内盗聴等を除けば 静かだったかもしれない
何せ 寝込んでいたのだし ねっとが寝てるかどっちかだった
2年間の 家庭放置から 元から壊れた身体も心も なかなか 治らないでいた
街にやっと 復帰出来たのも 10年経ってからだったし そこでも 迎撃が始まっていたし 私が わんけーに気付いた途端 そこからの尾行も 少しはあったりした
あれは だから 10年くらい前だったか 最初のわんけーからの声は 誰だったのか あんな人いた? から始まっていた
予測はしていたけれど それまでは 動乱の頃とか 声がした事は無かったかもだけれど そこから始まった
まだ車があった頃でも 実家に用事で たまに行く事があった時に わんけーから 不審な声がして 最初は 学生だろうと思っていた
2人いるようで 友達でも来たのか 或いは 不況で わんけーに何人も住んでいるという話も 既にあったかもしれない
しかし たまに通るにしても 何か違和感がありはしたけれど まだまさか 常駐しているとは 思っていなかった
そこから 近年 やっと ごみ捨て散歩から 確定した
常駐されても 私は 車の間は 殆ど 正面玄関を 使わないのにだ
では たくあんのやつらは 何を毎日 監視しているのか
恐らく マンションの住人等の 出入りを 全て24時間か 監視し続けているらしかった
しかも 少なくとも ここ10年以上はずっとらしいかも
私に それらがばれた途端 彼らは私を尾行して来た
おかしい・・
主従関係らしい2人組を 私はそのまま 最初は名付けた
主の方が 不審がっていた
多分 #ばかぶち の手先として 使われているらしいけれど 内容は余り解かっていないらしかった
というか 少なくとも 私の事は 余り知らされていなかったのかもしれない
なので #ばかぶち の言う事が おかしい事に 気付き始めていたらしい
私は らっきーと思った
彼らは 確かにたくあんらしいけれど 主従らは #ばかぶち の思惑に どっぷりとは まだ嵌まっていないらしく 単にマンションの出入りの監視等を #ばかぶち の言われるままに やっているに過ぎないらしい
当然 あらゆる噂は 耳には入っているのだろけれど 面白い事に 若い従の方しか 正当な情報を知らないようだった
この従は 実に 詳しく 私の情報を知っていてくれた
彼らは #ばかぶち の思惑 私の物を全部横領する為に 置かれた監視役に過ぎなかったかもしれない
ある日の 買い物だったかに 彼らは私を 初尾行していた
何なんだ あのt.は
長いんでしょう 云々
私の長いtについて そら変かもしれないけれど なかなか 思うようなtは無い
ろすんかに 長いというか 普通のtを着ても 私には 長くて だぼっとしていた
この酒屋通りの細い下り坂を 動乱当時にも こうして 尾行がいた事があった
その日は 国とっぷまでやって来て あの人 どうするんだ と後方で 数人が 多分2-3人くらいか 言いつつ靴の音もしているような気がしていた
後方15メートルくらいだろうか
主従も そんな感じで尾行していた
その日は どこに行っていたのだったか 郵便局だったかどうか
彼らは巧みに 短冊型似の 画一的な道を読み取っては 大回りの先回りをしては 私から 眼を離さないでいた
大してもので 私は尾行のやつらを 目撃した事は皆無だった
大抵は 50メートルは離れているらしくて 1度くらいは 探してみた事もあったかもだけれど 実際 どこに隠れているのか 解からなかった
或いは この短冊な道なら どこにいるのか 解かり易かったかもだけれど そう簡単に 見付かるような彼らでは無いだろう
尾行は 上手だと思うけれど 何せ声だけは 私の耳には 筒抜けになっていた
なので どの尾行の彼らが 何のどんな情報を持っているのか 考えているのかが 手に取るように解かって 私は助かっていたかもしれない
彼らは長く尾行する事無く いつしか消えて行った 戻ったのだろう
その後 マンションには多くの異変が 起こり始めていた
先ずは 正面玄関前の ポールの位置が ぱっくりと 車が乗り入れられる程に 広げられ捲り 照明すら 真っ暗にされて 如何にも怪しげで 夜に帰宅するのも 何か怖いようでもあった
ある日には 照明の付け方も いろいろに変化して ある筈も無い場所から led.の小さな スポットライトだけが 点いていた事もあったりした
それらは明らかに 私に何かあった時の為に 私の物を全て横領する為に 準備されているようだった
ぱっくりと口を開けた 表
まるで 着々と #ばかぶち の計画が進められているかのようにだむかっ
冗談じゃ無いと思うむかっ
(続く
書き飛ばし
Sunday, April 21, 2024
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゛婿入り道具・終身生命保険 ゙
江戸我 美保
昭和58年 1983年 1月 結婚して暫くすると 後家姑が 盛んに
生命保険の 受取人名義を 美保さんに替えんと
と言い始めていた
昔 学校で 教師が 言っていた事はあった それは婿入り道具の1つ
みたいなもので
嫁の一生を補償するようなもの 後には 子らも
郵便で出来たのだったか やがて私の名義に 切り替えられた
ふーん なるほど 確かに 私も 嫁である
なかなか 入籍は誰も行けんかったけれど 今回の名義変更も
後家姑が 何度も言ううちには 完了出来た
しかし 当時 2千万程度の 保険だったか
夫が 独時に 後家姑から 入らされたものらしく 1.2万円は
少し痛かった
通帳から 毎月 引き落とされるらしい
給料は 手取り15万しか無く 痛いけれど仕方無い
家賃は要らなかった
夫が生まれ育った 土地無し 古い 持ち長屋の一角だった
保険屋は 後家の縁戚が 外交やってるらしい
舅が亡くなった時は どんなだったろうか
かくして 私は 戸籍上も 保険上も 受取人の妻となった
損保入ったから
文教の町に 越した後だった
夫が 勝手に 妻子にまで保険を掛けたらしくて 社の元上司が 保険屋を始めた為に 強制加入みたいなものだったらしいけれど
え 月1.5万で 1千万 払えんわ
夫は無視して 独り 涼しい顔をしていた
田舎町で 目一杯の 限界超えの超ごたごた 内外等々の末に 賃貸まんしょんに 越して来ていた
その頃には 既に 私は 2人目を孕んでいた
超大詐欺お見合い婚された為に 超不幸過ぎた
新婚の頃から 浮気用に 市内中区に 1.3万もの 駐車場を 後家からして 家賃が要らんのだからと 強要すらされていた
1人目の八が生まれてからは それも無くなってはいたけれど 今度は 賃貸マンで 社からは 家賃も出ないから 所得に合わない 法外な家賃だった
この上 こんな 払えん保険に 勝手に入られたのでは 溜まったものでは無い
これは 元のを 解約するしか無いだろう
損をしても 仕方無い
パワハラなのだから
几帳面な性格が 災いして 速攻で 元のを解約
解約したよ
えっ 上司のは 解約出来るんで
えーっ
そんな事 言いもしないから 元のを解約してしまった
額は超少ないけれど 仕方無いでは無いか パワハラなのだから
しかも 妻子にまできもむかっ
仕方無いので このまま このパワハラ保険でいようかとも思ったけれど
どうもやはり 額が少な過ぎるし 妻子までというのは どうもよろしく無い
やはり 妻子ごろしかもしれない
舅は52歳で 不審死し 後家は 世界旅行をしていた
それは 元から用心はしていた
とにかく 新婚生活からして 超不安だらけで 八が生まれた時には 学資保険に入っていた
夫にもしもの事があった場合 進学も無理では困る
貯蓄型だし
当初から 夫のお小遣いも 法外だった
当時は 月3万が定説平均だったけれど それだけでは足りんらしくて
超ごろつきになって くれと言い放っていた
仕方無いから ボーナス時に 2回 10万出す事にしていた
これも法外だ
後家に貰えとも言っていたけれど けちだから くれないのだろうか
私も 新婚半年までは 後家らに 仕事を辞めさせて貰え無かったので 倒れるまで勤務を続けていたけれど 後は悲惨だった 元からか
最初は遠慮しても 結局は 10万は軽く消えて行った
子供が生まれてから 1円の余裕も無かった
中区駐車場のせいで 1万の余裕しか無かったのが 全く無くなり それでも ボーナス時は 夫の10万以外は 全部貯金していた
けちけち詰め詰めである
婚後は 自分の物は一切買わず 超真面目に ボーナスだけでも 貯金に精を出していた
その頃には 学資保険もやめていたのだったか 余裕無いし
働く事も考えたけれど 何とかぎりで やっていた
10日まで 買い物を控えれば後は楽 という 雑誌の通りに生活していて
月末 給料前でも 米が買えた
しかし このままだと 子らが大きくなると 部屋も足りんし 困ったものだった
賃貸は 2dkで超狭かった
物置きだけは ベランダに 2個でかいのがあって 助かってはいたけれど 将来性は皆無のようだ
そのうち 補償額の超少な過ぎる保険と 妻子までが やはりどうしても気に入らず どこかに入り直す事にしたけれど 全く当てが無かった
(続く
Wednesday, April 3, 2024
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