さらば、三浦さん
三浦和義サンが死んだ。自殺、と伝えられている。
80年代、いわゆるロス疑惑 で世間が大騒ぎしていたころ、三浦さん&ヨシエさんが営む店が渋谷にあった。
まだガキだった自分は、学校帰りに報道陣がたむろしている店をのぞきにいったもんでした。
店の名はフルハムロード。
いわゆるカフェバー(なつかしい昭和のひびき・・)。ネクタイ締めず、女のコにモテモテ。そして、疑惑の銃弾と死の香り。かっこよかったな~
場所はこのあたり のはずですが。ストリートビューを見てもどれがどれだか記憶が・・・
事件報道に「劇場型」というキーワードが出た最初だったような気がします。
逮捕され、警視庁に護送される三浦さんを、上空から何機ものヘリが追い回した映像を覚えています。
あれほど「極悪人」と報じられながら、三浦さんは日本の裁判では無罪確定でした。
獄中の三浦さんは名誉毀損の本人訴訟を連発し、「劇場」を担ったマスコミは連戦連敗。
疑惑を報じ、世間の関心をあおり、当局を動かし、裁判が始まり、かくして「悪」は罰せられる・・・そうした定型に彼は猛然と反抗しました。
しかし、そんな「劇場」の定型が裏切られること、結構、ありましたよねぇ。
薬害エイズ、長銀事件だけでなく、最近も福島の医療ミスの事件で無罪判決が出たりしてます。
キャスターや社会面は「納得できない」とうめき、宙ぶらりんな感覚につつまれる。
しかし、そうなの?
刑事司法が裁くものは、しょせんひとつのストーリー。
薬害エイズ について言えば、安部英という医師(たたかれやすいキャラクターでしたな)の判断がどの程度影響したのか、というストーリーが否定されちゃえばそりゃ無罪。
だから、三浦さんの無罪は、そうした社会が半ば期待していた事件の消費の方向性、みたいなものをあっけなくひっくり返しちゃう法廷というものが、一種のプロ意識によって運営されてるんだな、ということがなんとなくわかるわけです。
むろん、世間知らずの裁判官、という批判もあるわけですが、法廷に出た証拠だけで裁きをすることが、裁判官の義務。「世間知らず」が仕事の一環でもあるわけです。
そんな法廷にもうすぐ裁判員制度 という陪審制もどきの制度が導入されるわけですが、大丈夫かな~
そして、陪審制の先進国の法廷が、三浦さんをどう裁くかの期待も永遠に失われました。
カリフォルニアでは昔、O・J・シンプソン事件 というのもありましたっけ。
まさか、裁判員制度の啓発のため、日米連携したわけじゃないと思いますけど。
妻を亡くしたロスで裁かれることに耐えられなかったのか。
それとも、そんな消費(啓発?)のされ方に、さすがの三浦さんも、もはや耐えきれなかったのか。