映画「千と千尋の神隠し」

 

 

湯婆婆は双子

 

私の叔母は姉妹

そっくり

 

こうして改めて見ても

机の上に積まれている書類や

瓶や壺や

鼻息荒くしゃべっているところや

 

よかれと思うことに

全力で突進する姿は

 

老人ではなく

 

まさしく

湯婆婆

 

 

とにかく物が多く

 

高価な物だから捨てられない

のもわからなくはないが

 

アニメなら見てて笑えるが

 

現実には

 

本当に

恐ろしい。

 

今まで

断捨離やミニマリストという言葉が

世間にはあるが

私には

縁のないことと思っていた。

 

でも

 

湯婆婆の家に行くたび

 

訳のわからない中国の壺や

五重塔のような置物や

カップボードテやキャビネットに入っている

食器や人形が

 

もう限界を超えていると

 

スペースのない

見向きもされない

掃除もされない

その物たちの気配に

 

息がつまってしまった。

 

結婚をしていない叔母たちは

二人暮らし

 

ある日

 

私に

後見人になってほしいと頼まれた。

 

私は

 

財産よりも

屋敷に捨てられずに全ての物が

ただ積まれている光景に

押しつぶされ、圧倒される恐怖の方が

大きくて

断った。

 

その時も

 

この顔で

「なぜ断る!」と恐喝

 

そのときの私は

理由がはっきりと言葉にできなかった。

 

でも

 

ずっと

心にひっかかり

 

真正面から湯婆婆を見たとき

 

「かたづけられない湯婆婆の荷物を押しつけるな!」

 

とは言えなかったけど

そういう事だと思った。

 

主人に伝えると

 

「おまえもそっちよりだけどな」と。

 

ん???

 

どういうことだ?

私が湯婆婆のような気迫と人を顎で使うやつなのか?

それとも

買っては中身もみずそのままにして

腐らせてしまい、それさえ顧みないやつなのか?

 

自分の事や家族の事は

意外と見えていないのかもしれない。

 

物を減らし

空間に余韻

 

空間に淀みのない風

 

そうなれば

私の湯婆婆の思考も

 

変わるかもしれない。

 

 

まずは

 

自分の家から

始めよう。