日々考えることが多いせいか、大して運動していないのに(いや、運動をしていないからこそ)身体も頭も重い。
英語も一生懸命勉強しているのにどんどんひどくなっているような気がする。燃え尽きかな。
伸びているという実感が欲しいけど、伸び悩みという時期があるとすればそれが今なのかもしれない。
それを乗り越えたらまた少し強くなれるだろうか。

先週使い慣れない単語を必要とする環境で、固まって挙動不審になってしまったことが尾を引いているのかもしれない。普段はそれでも前に進もうと頑張るけど、先日は久々に爆発しそうになった。
「こんなの本当の自分じゃない!!」って…。
初めてネイティブスピーカーに囲まれてパーティーをしたときの疲労感と悲壮感を思い出す。

自分をあまり追い詰めたくないから、自分に優しく…と思ってもなかなか元の性格が「がんばりすぎ」だから力の緩め方が下手なんだ。完璧を求めるから苦しくなる。完璧になんてなれるはずないのに。

空周りも続く。うまくいかないときって何やってもうまくいかないもんだなあ。
そんな時はやっぱり日本に帰りたくなる。ふう。
今週は色々あって精神的に参っていたので、3連休で嬉しい。来週からまた怒涛の日々が始まるからしっかり備えないと。
本当に落ち込んでいる時ってなんでもないことがありがたく感じる。たとえばスーパーで買い物をしていても顔見知りの店員さんが遠くから手を振ってくれたり。たったそれだけのことで少し気持ちが和らぐ。逆にそれだけ自分が弱っていることの表れかもしれないけど。
今日は知り合いの女性と映画を観に行った。70代後半とは思えないほど背筋の伸びたアメリカ人女性。夫を病気で失くしているけど、強く生きている人。現役バリバリで働いている。いつだってリタイアできるのに現役で働くことのできる彼女はそれを楽しんでいるよう。
映画の後、食事を一緒にした。ここしばらくの間にあったつらいことを少し愚痴ってしまった。

「外国で暮らすことは本当に大変だと思う。でもね、それでも自分の足で立たなきゃダメよ。」

今の自分に一番必要な言葉だった。
大変さを分かってもらったうえで励まされる。叱咤激励ってこのことだなあ。
よしよしって甘やかしてもらうだけじゃ前に進めない。ただがんばれってお尻叩かれても立ち上がれない。その両方が今の自分に必要。きっと第三者だから私も冷静に聞けたのかもしれないけれど。

自分の足で立ちたい、なのに分かっていてもうまく立てない。だから苦しい。
でも這い上がらなきゃ。

アメリカに住んでいて、アメリカ人と会話をしているときに感じたこと。それは「褒める」ということ。ちょっと語弊があるかもしれない。でも日本語では表現しにくかったこと。
あるお手伝いをしていて、私がへりくだって「大してお力になれませんが」という感じのことを言っても「忙しい中でも手伝おうとしてくれている」というacknowlegementと「あなたがこの仕事をしてくれて本当に良かったわ」というappreciationはあまり日本では受けることがなかった。いや、あったのだろうけど言葉が違った。それは言語が違うんだから当たり前のことだけれど。
まあ、日本でも本音と建前もあるし、こちらでもそう。ただ、まだ慣れないだけ。褒め言葉も違う。けなされることに愛情を感じる関西文化に慣れ親しんでいただけになんだか主歯がゆい。
どちらがいいとか悪いとかではない。ただ、違う。でもその言葉に励まされたことだけは確か。

今までブログは読むほう専門であって、書くことは全くしていなかったのですが、日本語で好きなことを書けること、もともと日記や文章を書くことが好きだったこと、それなのになぜかここしばらく文章を書くことにちょっとしたプレッシャーを自分に課していたこともあって、遠ざかっていました。

けれど、外国に暮らしてみて感じること、喜び、悲しみ、不便さ、怒り、いろんな感情を暮らすうえで抱えるのに、日本語ほど自由に表現できる言語はないので、ここでのんびりと吐き出してみたいなと思い始めました。


けれど読み応えのあるものではないし、ほんとに雑文でしかないのでその辺はご了承を。あくまでも私の海外生活の愚痴のはけ口と、前向きな生活への潤滑油として書きなぐるだけのものです。