昨13日は「迎え火」やお墓参りで祖先を家に迎える盆の入りであるが、
この盆に関連し先人の「辞世の言葉」を12日の日経新聞に掲載されていた。
江戸時代の二人の偉大な俳人の「辞世の句」の違いを紹介している。
先ず、芭蕉は有名な「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」である。
一方、蕪村は「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」である。
51歳で旅先で倒れた芭蕉は、俳諧の悟りの境地=枯野を漂白したい修行僧のような心境を吐露しているが、蕪村は白梅が咲き芳香が漂う中で毎夜があける浄土がすぐそこまできているという幸福感に満ちた句であるという。
この他でこの芭蕉型には、
山本有三(「真実一路」の著書)―「いまここで死んでたまるか七日(新年の季語)くる」
河野一郎(政治家)―「こんなことで死んでたまるか」
蕪村型には
徳川夢声(マルチタレント)―(枕元の妻に)「おい、いい夫婦だったなあ」
最近は、交通事故等の突然の事故や急病あるいは長年の痴呆状態で「辞世の言葉」を残してこの世を去る人が少ないのではなかろうか?
しかし、現代の競争社会では大半の人が芭蕉のように何かを遣り残した心境で去っていくのがより多いのには同感である。特にいつまでも権力に執着する政治家や経営者は芭蕉型であろう。
私の両親は10数年前に「辞世の言葉」を残すこともなくこの世を去ったが、
存命中の生き様や子に対する愛情が「辞世の言葉」に替わる忘れがたいものである。
- リリー・フランキー
- 東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
