時間は2009年にさかのぼります。私は日本の事業の責任者をしており、Kさんが部下として働いていました。その時に「APACのビジネス会議を香港で行う」ことになったのです。各国からビジネスの代表を集め、APACの地域担当のビジネスマネージャーの主催で来年の活動を相談するというミーティングでした。

始め、私はその会議に出席することに消極的でした。フィリピンやタイへのビジネスプログラムが日本に応用出来る筈ありません。しかし、地域のビジネスマネージャーの立場からしたら、売り上げのかなりの部分を占める日本の参加なしに会議を行うというのは、片手落ちです。「来てくれ」と懇願されて、渋々承諾したのでした。

私はKさんも一緒について来てもらうことにしました。その時Kさんの担当は事業部のほんの一部であり、出来れば全体像を見て欲しいと思ったからです。そして二人で香港へ出発したのでした。

今振り返ると、というか今振り返らなくても、この「香港の出張」はいろいろな意味をもって登場してくることになりました。

この会議の冒頭、ASEAN等の開発途上国を担当していたビジネスマネージャーのBさんがビジネスの概況と、開発途上国への投資の歴史をまとめてプレゼンテーションを始めました。このBさんはシンガポールにいて、中国やインドをはじめとする開発途上国のビジネスをまとめていたのです。彼はそのポジションにつく前にAPACのM&A担当として働いていました。その関係で一度だけ電話会議で話したことはありましたが、当時面白い案件もなかったので、それっきりになっていた人でした。

私はBさんのプレゼンテーションを見て、何たることだと憤慨していました。
「こいつかぁ、我々が汗水たらして働いた上前をはねて使ってる奴は!」

開発途上の市場に於けるビジネスを軌道に乗せるためには、売り上げに似つかわしくない投資をする必要があります。それは頭では判っていますが、毎年毎年搾り取る様に設定される日本のビジネスゴール。投資は許されず、日本自体は爪に火を点す様な緊縮財政で、それでも多大な利益をたたき出して来ているのです。その、日本の利益をここで使っているのだ…と、直接見せつけられると、何とも腹立たしくなるのでした。

もちろん私は本社の人間であり、今この時は日本のために働いているけれど、全体最適のためにどのように投資を配分するか…と、問われれば、全然成長しない日本から巻き上げて成長著しい国と地域に投資するのは当然のこと、と、頭では判っていても…です。

それと同時に、日本の将来に関して非常に危機感を感じました。今でこそ、私が日本に派遣されて、業務の手直しをして、将来の成長路線を描こうとしていますが、それ以前は、そういう戦略的な発信は皆無と言って良かった筈です。このままでは、更に利益を巻き上げるためだけの存在になって行くのは自明でした。

私は相当な危機感と、他の国に使われる投資をなんとか日本に還元出来る方法はないか…とBさんのプレゼンテーションを聞きながら想いを巡らせました。そして、今後の発展のためのビジネスモデルの骨子を頭の中で組み立てました。投資先の開発途上国もうまく取り込んだ形でのモデルです。すなわち、私はBさんと一緒に働くことを選んだのでした。

この「香港」が後に度々、重要なターニングポイントとして出てくるのはここから来ています。Kさんにとっては、私とKさんが死にものぐるいでビジネスプランを描いた、その骨子が私の頭の中でひらめいた会議であり、Bさんにとっては、このビジネスモデル故に、担当に入っていない日本という国の私と仕事をする様になったからです。