「非公式のお助け組織」を造り、ゆる~くサポートを始めた我々ですが、会社である講演会があり、そのスピーカーとお昼ご飯をご一緒することになりました。

そのスピーカーというのは、MITのJapan Programのパットさんでした。
私の勤めている会社はMITのJapan Programとはかなりつきあいが長いのです。私がまだ日本で技術者をしていたころ、MITの学生が夏休みのインターンとしてやってきたことがありました。だから20年弱MITとはそういうプログラムで会社が付き合いをしていることになります。

パットさんは今回に限らず度々会社に来ていていろいろな講演をしていました。その度に講演のお知らせはもらっていたのですが、「日本のこと聞いてもなぁ?」と思い、スルーしていた訳です。けれど、今回はランチが入っています。話を聞かずにランチだけ食べる訳にはいかない…と、パットさんの講演会に出かけたのでした。

そもそも何故「ランチ」が設定されたか…というと、ゆる~くても「お助け組織」を作って、その組織に「名前をつけてあった」ため、パットさんが「話を聞きたい」ということになったからなのです。時々部下やメンティーにも言うのですが、「名前」は大事です。中身がなくても(このお助け組織中身はほとんどありません)名前さえついていれば、「何らかのもの」は存在することになるからです。

さて、このパットさん日本で大人になるまで過ごしていた筋金入りの日本育ちのいわゆる帰国子女でありました。日本への愛情は半端なく、けれど、「日本人村」として日本人がアメリカにいてもこじんまりしてしまうのは許せないというかなり熱い人でした。

日本から3ヶ月で送られて来た人達の意見や、我々の緩い組織の話を聞いて、不甲斐なさが爆発したのでした。

「アメリカにいるあなた達だって出来ることは沢山あるじゃない!?」

確かに、日本からやってくる人達の上司が目標をしっかりとコミュニケーションせずに、来た人が自力で自分が「何故やってきたのか」説明しないといけなかったりして、「武者修行にも程がある」状態だというのもばれてしまいましたし、我々の名ばかりの組織もこれといって、「何をしてあげたい」のか目標もなく、何となく存在している…というのもばれてしまったのです。

「3ヶ月だと、準備をしておいてあげないと何も得るものがないうちに終わってしまう。」と、パットさんは言うのです。全くその通りだと思います。そしてこれをひっくり返せば、「ちゃんと準備をしておいてあげれば3ヶ月でも非常に有意義な出張になる」ということです。

更にパットさんは言いました。
「アメリカに来た後、ブラジルとかに行ったっていいじゃない!」
おっしゃる通りなのです。アメリカにだけきて、アメリカと日本だけの関係で物事を進めるのはもう「時代遅れ」なのでした。

叱咤激励されたランチを終えて、その日の夕方私は一つ心を決めました。

「政治的に動くのは得意じゃないからやらないけど、戦略的には動ける。別に日本に頼まれてないけど、勝手に一肌脱ぎますか…」

Wさんが「え~、そんなにやるんですか?」と言って尻込みするかもしれない…という可能性は考えては見ましたが、「例えWさんがやらないって言ってもやってやろう」と私は決めました。

そして、日本の副社長に「勝手に一肌脱ぎます」というメールをし、それをWさんに転送して、「やることに決めたから」とメールで一方的に宣言しました。

するとWさんからは
「いつも、相談もなしに、でも僕の気持ちを代弁してくれてありがとうございます」
という、メールの文面からにやりと笑っているWさんの顔が見える様な返事がきました。パットさんに叱咤激励された後、Wさんも「やりますか」と、腕まくりをしたのでした。

こうして、引き続き「非公式」だけれど、「戦略的に動く」「お助け組織」が発足し、かつてのアイドルを世界のアイドルに引き上げるプロジェクトがはじまったのです。