母方の祖母の両親(曾祖父母)は祖母がまだこどもの頃に亡くなったと聞いています。祖母とその妹は彼女達の叔父の家に身を寄せ、両親に甘える経験が余りないままお見合いで結婚しました。祖母の夫(祖父)と祖母の妹の夫も兄弟でした。祖母は祖父に結婚式で初めて会ったということです。

母は祖母について甘えさせてくれる母ではなかった…と話していました。
そして、母はこどもの頃から「私が両親の面倒を見る子供になるのだ」と呪縛の様に思い込んでいました。普通のルールであれば母には兄(叔父)がおり、兄夫婦が面倒を見るはずでした。

母は退職後家財を引き払い、父と一緒に祖母の住む家に戻りました。そして、祖母が逝くまで介護を続けたのです。その頃の母の不満たるや、もの凄いものでありました。

「看病されることが当然と思ってるんだから」

様々な言葉のバリエーションはありましたが、母が祖母から聞きたかった一言は「ありがとう」の一言でした。けれど、その言葉が祖母から発せられることは本当に死期の近づいた1~2ヶ月位までなかったのです。

祖母からしたら、「この子を一生懸命育てたんだから、面倒を見てもらって当然」という思いがあったのだと思います。しかし、母からしたら、「育ててなんて言ってない」訳で、介護は因果応報ではないのです。母が一生懸命看病していたのは、祖母から認めてもらいたくてやっていたのは明らかでした。しかし、なかなか認めてもらえない…自分から行っている事なのに不満ばかりがつのっていました。

そして、私と母の関係です。

ぐずでのろまな娘が難関大学に入れたのは私の教育の賜物…

自分の人生を家族のために「犠牲にして来た」と思っている母の人生の中で、私が大学に入ったことは大きな勲章です。これについても、私が母に感謝して当然と思っているのでした。

「育ててあげたんだから面倒見てもらって当然」という祖母と
「難関大学に入れてあげたんだから感謝されて当然」という母

その「当然」と思っていながら、自らは「認められたい」と乾きを感じている辺り迄、余りにそっくりで唖然としたものです。

そして私もそんな母に認めてもらいたいと頭の中に「よい子」を作り出し、一生懸命自分を辛くさせていた訳です。母も頭の中に「よい子」「よい母」を作り出して、自分を辛くしていたのだろうと判りました。

こうして、親子は繋がって行くのだ…と感じました。私には子供はいませんからこの連鎖はここで終わりそうですけれど。