された妻の話を読んでいると、
よく出てくる疑問があります。
なぜ夫は、
不倫をすれば家庭が壊れるかもしれない、
ということを想像しなかったのか。
軽率だったのか。
想像力がなかったのか。
それとも、家族を大切に思っていなかったのか。
その問いに対して、
もう一つの現実を見ておく必要があります。
壊れたら困るものとして、見ていなかった。
その時点で夫は、
妻と同じように家庭を
「絶対に壊れては困るもの」
として見ていなかった可能性があります。
家庭があること。
妻がいること。
それらは生活の前提ではあっても、
失ったら自分が根本的に困る対象ではなかった。
だから、
壊れるかもしれない、という発想自体が
切実には立ち上がらなかった。
それは冷酷さというより、
すでに心の重心が
別の場所に移っていた状態です。
驚いているのは、壊れたことではない。
ことが発覚したあと、
夫が妻の態度に戸惑うことがあります。
激しい怒り。
取り乱した様子。
これまでにない感情の噴出。
そのとき夫が驚いているのは、
「こんな大事になるとは思わなかった」
というよりも、
「自分は愛されている実感などなかったのに、
なぜ妻はここまで反応するのだろう」
という戸惑いであることが少なくありません。
すれ違っていた前提。
妻にとって家庭は、
壊れたら自分の基盤が崩れるもの。
守るべきもの。
一方で夫にとっては、
すでに重心が外れた場所。
失っても現実が続いてしまうもの。
同じ「家庭」という言葉を使っていても、
そこに置いている意味は、
かなり前から違っていた。
その前提のずれが、
発覚後に一気に表面化する。
想像しなかったのではなく、想像できなかった。
家庭が壊れる未来を想像しなかったのではなく、
その未来を「自分の痛み」として
想像できなかった。
それが、
多くのケースで起きていることです。
この視点に立つと、
夫の行動は許せるものではなくても、
理解不能なものではなくなります。
そして同時に、
妻が感じている絶望や怒りも、
より現実的な位置づけで捉え直すことができます。
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