無関心という現実を前にして、

「期待を手放したほうがいい」と言われることがあります。

でもこの言葉は、
多くの人にとってとても残酷に響く。



期待を手放すなんて、
それはもう諦めることではないのか。
関係を終わらせる覚悟をしろ、ということなのか。

そう感じてしまうのも無理はありません。


けれど、
期待を手放すことと、諦めることは同じではありません。



期待とは、相手に預けている自分の軸。

ここで言う「期待」とは、
相手が変わってくれるはず、
分かってくれるはず、
いつか戻ってくれるはず、
という予測のことです。


この期待がある限り、
相手の態度や言葉が、
自分の価値を測る基準になってしまう。


返事の一言。
視線の向き。
機嫌の変化。


それらすべてに、
一喜一憂せざるを得なくなる。


これは愛情深さではなく、
自分の軸を相手に預けている状態です。




期待を手放すとは、現実に戻ること。

期待を手放すというのは、
相手を見限ることではありません。

「こうあってほしい」という願いを、
一度、横に置くこと。

今、相手はどういう状態なのか。
今、どんな距離にいるのか。

それを、
良い悪いの評価をつけずに
そのまま受け取ることです。




期待を手放すと、
相手の行動が急に冷たく見えることもあります。
でもそれは、
相手が変わったのではなく、
こちらが幻想を降ろしただけ。





諦めるとは、感じることをやめること。

一方で、諦めるというのは、
感じること自体を止めてしまう状態です。

悲しみも、怒りも、違和感も、
「もう考えない」と蓋をする。

関係を続けるにしても、
心を切り離してやり過ごす。

これは、
自分を守っているようで、
実はゆっくりとすり減っていくやり方です。





期待を手放すと、選択肢が戻ってくる。

期待を手放すと、
すぐに楽になるわけではありません。

でも、
自分の足元が見えるようになります。

この関係で、
自分は何を大切にしたいのか。
何をこれ以上、差し出せないのか。

相手がどうするかではなく、
自分がどう在りたいかが、
少しずつ輪郭を持ってくる。

それは、
関係を続けるための判断にもなるし、
離れるための判断にもなる。

どちらに進んでも、
自分で選んだ感覚が残ります。





期待を手放すことは、尊厳を取り戻すこと。

期待を手放すというのは、
冷たくなることでも、
愛を捨てることでもありません。

相手の反応に、
自分の価値を預けるのをやめること。

それは、
自分の尊厳を取り戻す行為です。

諦める前に、
まず期待を手放す。

その順番を間違えなければ、
どんな選択をしても、
自分を見失わずにいられる。




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