夫としての彼を、
「あるべき姿」に閉じ込めようとする世界があります。
夫なのだからこうあるべき。
父親なのだから我慢すべき。
家族なのだから優先順位は決まっている。
その枠の中で、
彼が感じていることや疲れ、違和感は、
後回しにされがちです。
それが悪意かどうかは関係なく、
圧のある世界であることは確かです。
一方で、
彼がこれまで当たり前のようにしてきた我慢を、
そっと緩ませてくれる世界もあります。
頑張らなくていい。
説明しなくていい。
正解を出さなくていい。
弱さを見せても、
役割を果たさなくても、
そのままで呼吸ができる場所。
どちらがいいかなんて、
考えるまでもありません。
比較してしまったあとの、決定的な違い。
人は、
知らなければ耐えられることがあります。
それが当たり前だと思っていれば、
違和感に名前をつけずに済む。
でも一度、
もう一つの世界を知ってしまったら、
元の場所に戻るのは難しい。
圧の中で生きていたこと。
自分がどれだけ力を入れて踏ん張っていたか。
どれほど無意識に我慢を重ねていたか。
それが、はっきりと見えてしまうからです。
戻れないのは、
贅沢を覚えたからではありません。
楽をしたいからでもありません。
自分を押し殺さなくてもいい感覚を、
身体が覚えてしまったから。
これは恋愛の話ではありません。
誰かを選んだとか、
誰かを捨てたとか、
そういう単純な話ではありません。
「自分を閉じ込める構造」と
「自分を緩めてくれる構造」。
その違いを、
一度でも実感してしまったら、
人はもう同じようには生きられない。
夫として、父として、
役割を果たす世界に戻ることはできても、
心まで元に戻すことはできない。
それだけの話です。
だから、迷いは消えない。
彼が迷っているように見えるのは、
どちらが正しいか分からないからではありません。
どちらが楽か、
どちらが本音で生きられるかを
もう知ってしまったからです。
そして知ってしまった以上、
以前
と同じ形で留まり続けることはできない。
それは逃げでも裏切りでもなく、
不可逆な気づきなのだと思います。
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