不倫された妻たちの言葉を読んでいて、


時々、強い違和感を覚えることがあります。

それは怒りでも悲しみでもなく、
不倫相手の女性の容姿を揶揄したり、蔑んだりする言葉に触れたときです。

太っている、老けている、ブスだ、
なぜあんな人を選んだのか分からない。
そんな表現が並ぶのを見て、
私は正直、驚いてしまうことがあります。

私自身は、容姿については比較的恵まれてきた方かもしれません。
でもだからこそ、
外見に恵まれていない人に対して
強い敵意や軽蔑の感情を抱いたことはありません。

それなのに、
不倫された側である妻たちから、
ここまで強い言葉が出てくることがある。

本人たちはきっと
「不倫をする女性だから」「許せない相手だから」
そう説明するのだと思います。

でも、私はそれだけではない何かを感じてしまうのです。



怒りの向き先が、少し違うところにあるように見える。



外見を攻撃する言葉には、
事実を説明する力はありません。
ただ、相手を下に置こうとする力だけがある。

そこまでの強さが出てくるとき、
それは不倫という出来事だけで
突然生まれた感情とは思えないことがある。

むしろ、
日常の中で少しずつ溜まっていた棘のようなものが、
今回の出来事をきっかけに、
外に噴き出しているように見えることがあります。

自分が大切にされていない感覚。
見てもらえていない感覚。
認められていないという長年の違和感。

それらが行き場を失い、
もっとも分かりやすい対象に向かって
言葉として現れているようにも感じるのです。



心の余白がある人は、攻撃の仕方が違う。


人は、心に余白があるとき、
他人の弱さや欠けた部分を
そこまで執拗に責め立てたりはしません。

逆に、
自分の中がいっぱいいっぱいのときほど、
誰かを強く下に置く言葉が出やすくなる。

だから私は、
不倫相手の容姿を激しく攻撃する言葉を見ると、
その人の怒りよりも、
その人がどれほど長く満たされていなかったのか
そちらを考えてしまいます。



これは、誰かを責める話ではありません。

不倫された側の苦しみは、本物です。
怒りや悲しみが強くなるのも自然なことです。

ただ、
外見への蔑みがあまりに強いとき、
それは問題の本質から少し離れてしまう。

そして何より、
その言葉は相手を傷つける以上に、
言葉を放った本人の心をさらに貧しくしてしまうように見えることがあります。

怒りを否定する必要はありません。
でも、その怒りがどこから来ているのかを
一度立ち止まって見てみることは、
自分を守ることにもつながる。

そう思うことが、時々あります。



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