一度不倫を経験したあとの夫は、
もう妻を『愛している』わけではない。
妻が壊れてしまう姿を見たくないから。
それは恋情でも、責任でもない。
長い時間を共に過ごした人間としての、情。
かつて同じ家で笑い、泣き、家族として生きてきたその記憶が、夫を動けなくしている。
——壊した本人として、最後まで見届けなければならない。
そう思っている節もある。
愛しているわけではないが、見捨てることもできない。
そうした「人としての情」は、
ある意味で家族としての再構築を支えている。
夫婦としての愛情はもう戻らなくても、
互いに生きていくための秩序としての『共存』は成り立っている。
けれど、その情は同時に、
本当の意味での再生を遠ざけてもいる。
壊れないように守ることで、
変わることも止めてしまうから。
それでも、そんな夫を完全に責めることはできない。
人は、無情になりきれるほど冷たくはない。
愛がなくても、情は残る。
それが、長い年月を共に生きた人間の現実なのだと思う。
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