夫はもう、妻を『愛している』わけではない。
けれど、家を出られないのは、
妻が壊れてしまう姿を見たくないから。





それは恋情でも、責任でもない。
人としての情──命に対する本能的な反応に近い。





たとえば、産まれたばかりの赤ん坊が道端に寝かされていたら、誰だって思わず毛布をかけ、
風の当たらない場所へと運ぶでしょう。





夫の情も、それと同じ種類のもの。
かつて自分と共に暮らし、
自分の言葉や行動で形を変えてしまった『ひとつの命』に対して、放ってはおけないという感覚。





——それは愛ではない。
けれど、確かに「人としての温度」はある。





ただ、その情が二人を縛ってもいる。
壊さないために、何も変えられないまま、
静かに時だけが過ぎていく。





それでも、誰も完全には責められない。
人は、無情で生ききれるほど強くはないから。






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