心の問題を軽く見てしまう。
それが、身の回りの多くのすれ違いや不調の根っこにある――
最近、そう感じることが多いです。





私たちはつい「行動」ばかりを正そうとします。
でも、本当はその前に、
『どんな気持ちで行動しているのか』がいちばん大切なのですよね。





我慢しながら動く。
自分の気持ちを抑えて「これくらいでいい」と済ませる。
それを続けるうちに、
小さなひずみが少しずつ心を濁らせていきます。






だからこそ、
「我慢している自分」に気づいたときは、
思い切って違う行動を取ってみること。
それが、自分の中の『優しさの循環』を取り戻す第一歩になる気がします。




以前に読んだブログを思い出しました。

旦那さんが、洗ったイチゴをお皿に盛ってくれていたという話。
少し傷みかけた部分があって、夫が尋ねました。

「これ、どうする?」

妻はこう答えました。
「うーん、大丈夫なんじゃない?」

そしてあとで見たら、
自分の皿にそのイチゴが入っていて、少しがっかりしたと。




でも、これにはいくつもの『伝わらない心』が詰まっています。




夫はきっと、
「捨てたら怒られるかもしれない」と思った。
そして『妻の意見に従う』ことが正解だと思っていた。

一方の妻も、
『自分が食べるのはいや』という本音を言わずに、
「大丈夫」と返した。





お互いが相手を思いやった結果、
どちらの気持ちも伝わらなかったのです。








この話が印象に残っているのは、
人は行動よりも先に「心を通わせる練習」が必要だと思うから。




正しい答えを探すよりも、
『自分の気持ちを正直に伝える』ことの方が
ずっと難しくて、でもずっと誠実なんですよね。





我慢のうえにある優しさは、
いつか『誤解』に変わる。




だからこそ、
心の問題を低く見積もらないこと。
それが人と生きる上でのいちばんの鍵なのかもしれません。





この話を読んだのは、もう何年も前のこと。
でも、なぜかずっと忘れられませんでした。
たぶん、私の中にも似たような『すれ違いの記憶』があるから。
それを思い出すたびに、
心の通い方について、もう一度立ち止まりたくなるのです。






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