夫への想いが、
「愛なのか、それとも執着なのか」。
この問いは、
裏切りや失望を経験した人ほど、
心の奥にずっと残るものです。
「まだ愛している」と言いながらも、
実は『手放せない痛み』の中に立ち止まっている人も多い。
けれどその痛みの中心にあるのは、
相手そのものではなく、
『自分が信じてきた物語』を壊されたことへのショックなのです。
本当の愛は、
相手が自分のもとを離れても、
「その人がその人らしく生きていけるなら」と思えること。
それは『諦め』ではなく、
『尊重』のかたちです。
一方で、
執着は相手が離れていくほどに苦しくなります。
「私を傷つけたのだから、あなたも苦しむべきだ」
「他の誰かに渡るくらいなら壊れてほしい」
そんな気持ちが生まれたとき、
それはもう愛ではなく、
『支配の延長線』にあるのかもしれません。
愛と執着の境目は、
とても静かなところにあります。
怒りが消えても、涙が乾いても、
心の奥でまだ『相手をコントロールしたい』と願っているなら、
それは「愛している」のではなく、
「自分を保つために相手を必要としている」状態です。
反対に、
「もう、あなたを変えようとしない」
「幸せでいてくれるなら、それでいい」
そう思えた瞬間、
人はようやく『愛のかたち』を取り戻します。
愛は、
相手を所有することではなく、
その人が生きる自由を見守れること。
そしてそれを選べたとき、
自分自身もようやく自由になる。
愛するということは、
「つなぎとめる」ことではなく、
「信じて見送る」ことなのかもしれません。
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