不倫をした夫を問い詰めるとき、
妻たちはしばしば「どうして」「なぜ」という理屈で迫ります。
けれど夫たちは、もともと「べき論」では動いていません。
彼らの行動は、
その場の感情、逃避、本能的な安らぎ、
あるいは『自分を保つための一時的な避難』のようなものであって、
筋道だった理由で説明できるものではないのです。
「反省している?」と問われて本気で反省する人なら、
そもそも一線を越えない。
そこに理屈を持ち込んでも、
彼の心はすでに別の場所にある。
それでも妻たちは、「話せばわかる」と思いたい。
夫婦である以上、言葉で通じるはずだと。
けれど、その『常識の通じる前提』が崩れたところからこの問題は始まっているのです。
——夫は『間違いを認める人』ではなく、
『心が空いた瞬間に動いた人』。
それを同じ土俵で責めようとするほど、
溝は深くなってしまうのかもしれません。
※ 記事の内容や表現は筆者のオリジナルです。
引用・転載・リブログなどの無断利用はご遠慮ください。
