人は誰かから強く求められると、

その熱を『自分だけに向けられたもの』だと信じてしまう。

あの人があれほど真剣だったのは、

自分だからだ、と。





けれど、熱烈に人を求めることができる人は、

本質的に『そういう性質』を持っているのだと思います。

惹かれた相手に全力で向かう。
それはその人の恋の仕方であって、
特定の誰かだけに起こる特別な出来事ではないのです。





若い頃の私たちは、多くの場合、
その熱を「自分だから選ばれた」「自分だけが特別」だと受け取ってしまう。

でも、実際にはその熱は『自分に向いた愛』ではなく『その人の持つ恋愛の形』そのもの。







だから、時間が経つと矛盾が生まれます。
「こんなに求めてくれた人が、なぜ裏切るの?」と。
けれど矛盾ではなく、もともとそういう人だっただけ。






それに気づいた時、人は深く傷つくけれど、
同時にそこから自由になれます。

特別だったのではなく、

ただその人の『愛し方』のひとつの現れだった。






そう理解できたとき、

ようやく過去が過去として静かに収まるのかもしれません。





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