人は「もう愛していない」と気づいていても、
簡単には離れられないことがあります。

それは、相手ではなく、

『妻である自分』という役割を失う怖さに

縛られているからです。





長い年月をかけて築いた家族や生活、

そこに存在してきた自分の輪郭。
「妻」という肩書きは、

愛よりも前に『生きる形』になってしまっている。







だから、裏切られた痛みを抱えながらも、
関係を手放せない。
怒りを手放せない。
そして、夫を監視することで

まだ『繋がっている自分』を確かめてしまう。







けれど本当は、

夫を見張ることで得ているのは「関係の延命」であって、安心ではありません。







そして夫もまた、

『夫という社会的な立場』を簡単には手放せない。

家庭が回っている限り、

そこにいれば「責任を果たしている」ように見えるから。





だから、壊れていることに気づいていても、
壊す理由を探そうとしない。






どちらも、
愛よりも「役割」に支えられているだけの関係。
でも本当に人を支えるのは、
立場ではなく、その人としてどう生きたいか
という思いなんですよね。





誰かの妻でも夫でもない、

『自分』の人生に戻れるとき。

ようやく本当の意味で自由になれるのだと思います。






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