夫の不倫を責めながら、
自分の決めた家族旅行を「子どものため」と言い換えて正当化する妻がいます。
行き先は、夫の趣味ではない場所。
それでも「家族の時間だから」と。
一方で、夫の美容院代が数千円でも「無駄づかい」と感じてしまう。
そうした違和感を抱えたままの暮らしは、
すでに互いの間に見えない線を引いてしまっているように思います。
不満は、大声でぶつけなくても伝わります。
言葉の端や、沈黙の温度や、ため息のリズムで。
積み重なればそれが、日常の空気になってしまう。
誰かが悪いという話ではありません。
ただ、「我慢」と「犠牲」を愛と取り違えたとき、
人は知らず知らずのうちに、自分の中に不満をためていく。
夫婦関係は、正しさよりも心の余白でできています。
相手の小さな行動に苛立つ前に、「私はいつから、こんなに余白のない日々を送っているのだろう」
と一度立ち止まってみること。
その気づきこそが、
不満をぶつけ合う関係から、
『もう一度選び合う関係』への入り口になるのかもしれません。
※ 記事の内容や表現は筆者のオリジナルです。
引用・転載・リブログなどの無断利用はご遠慮ください。
