「私が望んでいることを、なぜ夫は望まないのか」

多くの妻たちの言葉を聞くと、

この一文に集約されているように感じます。






夫婦は『同じ方向を見ているはず』という前提でも、実際にはそれぞれがまったく違う地図を持って生きている。

それでもどちらか一方が「正しい」と思い込んだ瞬間、関係は静かにすれ違い始めます。






多くの妻がこの発想に至るのは、

「家族のために」「夫のために」

と、長年我慢し、尽くしてきた自負があるからでしょう。



けれどその献身が、

『見返りを求めない愛』から

『正しさを証明する行為』へと変わっていくと、

相手の自由が許せなくなる。






犠牲と愛情を混同してしまうと、

「私はこれだけ頑張っているのに」という思いが、いつのまにか「あなたも同じように我慢すべき」へとすり替わる。

その瞬間、愛は対話ではなく取引に変わります。






夫の心が離れていくのは、

感謝が足りないからでも、刺激がなくなったからでもない。



『自分をコントロールしようとする空気』を敏感に感じ取るからです。






「妻になること」は、
誰かの行動を縛る免罪符ではない。

同じ屋根の下であっても、互いに自由であることを尊重できたときにだけ、

本当の信頼が芽生えるのだと思います。




「尽くすこと」ではなく、「選び続けてもらえる関係」こそが、

ほんとうの愛のかたちなのかもしれません。






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