愛がないのに、離婚しない――。
そういう夫婦が思いのほか多いことに、わたしは驚きました。
「子どものため」「世間体のため」「家を守るため」
理由はいろいろあるのだと思います。
けれど、心がもうそこにないのに関係を続けることを、
なぜ『正しいこと』だと信じられるのだろう。
わたしが離婚を考え始めたとき、罪悪感はまったくありませんでした。
どうやって生活していくか、それだけを現実的に考えていました。
それは、毒親家庭で育ち、もっと過酷な環境を知っていたからかもしれません。
経済的には決して不自由ではありませんでした。
私立の学校にも通い、学ぶ環境には恵まれていました。
けれど家庭の空気はいつも張りつめていて、心の拠りどころがなかった。
だからこそ「両親がそろっていること」が幸せの条件だとは、思えなかったのだと思います。
父母は罵り合い、父は怒鳴り、母は過干渉。
自分の意思で何かを選ぶ自由は、ほとんどありませんでした。
無意識のうちに、わたしはあの家と今を比べていたのでしょう。
「子どもが不幸になるかも」なんて、1ミリも思いませんでした。
どうすれば、わたしも子どもたちも、より穏やかに生きられるか。
それだけを、ずっと考えてきたのです。
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