夫が家を離れても、日常の一部がまだ続いていると、
「関係そのものは終わっていない」と感じてしまう人がいます。
ときどき家に戻り、家族で食事をし、連絡を取り合う——
それだけで、まだ絆が残っているように錯覚してしまうのです。

けれど実際には、夫の心はすでに別の場所にあります。
「一緒に過ごす時間」があることと、
「心がつながっていること」はまったく別のこと。
それを理解できないまま過ごしてしまうと、
長い時間が、ただ静かに関係を摩耗させていくだけです。

多くの場合、妻は『終わりを受け入れたくない』のではなく、
『まだ続いていると思いたい』のです。
法的にも社会的にも「妻」という立場が残っている限り、
心の終わりを認めるのは、あまりに痛い。

けれどその痛みを避けている間に、
夫の中では「過去の関係」になってしまっている。
そのズレこそが、再び心を通わせることを難しくしています。

また、このようなすれ違いが長く続く背景には、
妻の側が夫を『当然の存在』として扱ってきた時間も見え隠れします。
お互いの思考や立場を尊重し合えない関係のまま、
表面的な家庭生活だけが残ったとき——
不倫という現象は、その延長線上に起こるのかもしれません。

終わりを見ようとしないことは、優しさではありません。
それは、現実を直視できないままに
自分の世界を保とうとする防衛本能でもあるのです。



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