「なぜ、裏切られた私が努力しなければならないの?」
再構築を選んだ妻たちの中に、こんな声をよく見かけます。
結論からいえば、努力は「しなければいけない」ものではありません。
けれど実際には、努力するかどうかを決めるのは「夫」ではなく「妻自身」なのです。
夫側にとって家庭を失うことは、不都合や不利益はあっても「生きていけないほど」ではない場合が多い。
だからこそ、不倫という選択をしてしまったともいえます。
「何も考えていないから」と片づけられることもありますが、その根底にはこの温度差があるのでしょう。
一方で妻側は「家庭を壊したくない」「夫と別れたくない」と願う人が少なくありません。
つまり、残りたいのは自分だからこそ、自分がどうするかを選ばざるを得ないのです。
再構築という言葉は、あたかも「ふたりで一緒に取り組むもの」のように聞こえます。
けれど実際には、妻が「それでも一緒にいたいか」を自分に問う過程に近い。
そこで「立て直したい」と思うなら、その努力をするのは自然な流れですし、
「やはり違う」と思えば離れるのもまた自然です。
再構築は、夫に強制されてするものでもなければ、妻が義務として背負うものでもありません。
ただ現実には、温度差を受け入れた上で「自分はどうしたいか」を選ぶこと。
その覚悟こそが、再構築という言葉の裏にある実態なのだと思います。
「努力するのは不公平」ではなく、「努力するかどうかを選ぶのは自分」。
視点を変えるだけで、ずっと腑に落ちやすくなるのではないでしょうか。
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