ある夫は長年にわたり「理想的な家庭人」として振る舞い、周囲からも「良き夫、良き父」と見られてきました。
けれど実際には、その裏で複数の女性との関係を続けていたのです。






やがて不倫が明らかになった時、彼の態度は大きく変わりました。
それまで積み重ねてきた家庭人としての仮面を自ら外し、修復の努力を口にすることもなく、「ここから先は続かない」という姿勢を示したのです。






さらに妻や相手の女性に対しても、最初から自分の立場が変わることはないと伝え、どちらかを選ぶ意志も見せませんでした。






ここで見えるのは、彼が「人のせい」にしているわけではなく、むしろ冷静に自分が責任を果たせる位置取りをしているだけ、ということです。







妻にも、不倫相手にも、都合のよい嘘はついていない。
「自分はやるべきことをやっている」と思えるポジションに立ち、堂々としている。
それは誠実さではなく、ただの自己都合の合理化にすぎません。






そして何より、このケースで「再構築」は本質的に成立しない。
なぜなら、長年かけて夫の心はすでに家庭から離れていたからです。
「理想の夫」という演技すら、家族や世間への責任感の一部でしかなかった。





妻はなお、「家族への情があるはず」と信じたい気持ちを手放せないかもしれません。

けれど本当は、演じられてきた愛情を直視することが苦しすぎるのだと思います。






再構築の可否のまえに、そもそも「土台」と呼べるものがあったのでしょうか。

形だけの責任感の上に築かれた夫婦は、

真の意味でやり直すことなどできないのではないでしょうか。





※ 記事の内容や表現は筆者のオリジナルです。

引用・転載・リブログなどの無断利用はご遠慮ください。