不倫をされた妻が「制裁したい」と思う気持ちは、当然のことです。
裏切られ、傷つけられたのだから、正しさを取り戻したいと願う。
その感覚はよく理解できます。

けれど時に、制裁は「心の通りに動いている」ように見えて、
実は「正しさに縛られた心」に突き動かされているだけ、という場合があります。



◆ 正しさに支配される心
• 「裏切られたのだから制裁するのが当然」
• 「家族を壊した不倫相手を許してはいけない」
• 「私は正しい、悪いのは夫」

こうした考えは一見、自分の心の叫びのようですが、
実際には「正しさを守るための行動」にすぎないこともあります。
本人は「心の通りに動いている」と感じていても、
結果的には自分の首を絞めてしまっているのです。



◆ 制裁を優先する構造
冷静に考えれば──もし夫を愛しているのなら、
制裁よりも「これからどうするか」という選択肢が見えるはずです。
けれど「正しさ」を優先すると、相手や夫を攻撃することが第一になる。

制裁を通じて「自分は間違っていない」と証明できるからこそ、
愛や未来よりも制裁を選んでしまうのです。



◆ 社会経験との関係
社会にあまり出ていない人ほど、
「正しい/間違っている」という二択の価値観に支配されやすい傾向があります。
さまざまな人や出来事に触れていれば、
• 正しさと幸せは必ずしも一致しない
• 制裁で得られる満足は一時的にすぎない
と気づける余地が広がるのですが…。



◆ まとめ
制裁を選ぶこと自体を否定するつもりはありません。
ただ「それは本当に心の通りなのか?」
「正しさを守るために動いているだけではないか?」
と問いかけてみることが必要だと思います。

制裁は一時的なカタルシスを与えても、未来を築く答えにはなりません。

その視点を持てるかどうかが、苦しみから抜け出せるかどうかの分岐点になるのです。


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