この言葉の裏には、単に「相手がひどい人だった」という意味だけではなく、
自分自身が見ないふりをしてしまった事実が隠れているように思います。
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◆ 本当に気づかなかったわけではない
多くの場合、結婚前から小さな違和感はあるものです。
けれど「これくらいなら大丈夫」「結婚したら変わるかもしれない」──
そんな期待や願望のもとで、違和感を見ないようにしてしまう。
つまり「結婚を間違えた」とは、
相手の本質を知らなかったのではなく、自分が目をそらした結果でもあるのです。
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◆ 見ないふりを選んでしまう理由
• 安定や安心を手に入れたい気持ち
• 年齢や周囲からの圧力
• 「せっかくここまで来たのだから」と引き返せない感覚
こうした要因が、「見ないふり」を後押しします。
そして結婚後に現実を突きつけられたとき、「間違えた」と痛感するのです。
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◆ それでも離れられない
現実がどれほどひどくても、離れられない人が多いのはなぜでしょうか。
それは「未知の不安」が、今の不幸よりも怖いから。
• この人と別れたら一人になってしまう
• 子どもや生活はどうなるのか
• もっとひどい未来が待っているかもしれない
そんな思いが、動けなくしてしまいます。
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◆ 知っている地獄 vs 未知の不安
「今の結婚生活」はたとえ地獄でも“知っている地獄”。
だから人はそこにとどまりがちです。
一方で「離婚後の生活」は“未知の不安”。
愛しているからではなく、恐れと負い目によって離れられない。
これが、多くの人を縛っている構造だと思います。
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◆ まとめ
結婚を間違えた、とは「相手の本質を知らなかった」ではなく、
違和感に気づきながら見ないふりをしたことでもある。
そして今なお離れられないのは、愛ではなく、未知への恐れに囚われているから。
「知っている地獄」と「未知の不安」──
この二つの間で揺れ続けることが、妻たちをさらに苦しめているのです。
